頼むから。
   そういう可愛いことすんの、
   やめてくれないかな……




                     
密かなキスの行方




    「え……プリンって、家でも作れるの?」
    『そうだよ。凄く簡単に作れちゃうんだよ!今冷やしてるところなんだけど、
   いつ持って行けば良い?』

   日曜の朝。
   結花からの電話で目が覚めた。
   いつものあのぼんやりふわふわした声が受話器の向こう側から聞こえてくる
   と、俺はとんでもなくホッとする。

    「うん、昼にうちへおいでよ。楽しみに待ってる」
    『……あき……もとくん家ね、……うん、分かった』

    ……そのちょっぴりずつの間はいったい何?

   不思議に思いながら、電話を切った。
   結花がうちへ来るのは初めてのことじゃない。
   だから、今更緊張するようなことなんて、有り得ないはずだった。

   けれど……


    「おじゃまし…ます……」

   あきらかに普段とはかけ離れた面持ちで玄関に立ち尽くす結花を見て、これ
   は絶対に何かあるな、と。思わずにはいられなくなった。
   でも、結花にそういうことを率直に訊きただすのは賢明なやり方じゃない。

    「あがりなよ。春先でも、今日はまだ寒かったでしょ?」
    「うん……だ、いじょうぶだよ、うんうん。うん」

   うん、を言いすぎだよ。
   いったいどうしちゃったの?結花……

   結花には先に二階の俺の部屋に上がっておくように言って、用意してあった
   紅茶セットを取りにキッチンへ行く。

    「……俺、何か変なことでもしたかな」

   そんな覚えはまるでないんだけれど。


   触れすぎ、とか?


   ああ。
   ありえるかも。確かに俺は、結花に触れすぎなのかもしれない……
   まず、結花のちっこい手を握るのが、とっても好きだ。
   結花の手が宙を泳いでいると、必ず手に取ってしまう。
   無意識のうちに握りしめていて、後になって気づくこともあるくらいだった。
   結花に、触れていたい……
   ずっとずっと、触れていたい、と思うんだ。

   けれど。
   考えてみれば、結花は触れられることになれていないのかもしれない。
   結花は今まで誰とも付き合ったことが無い。
   恋すら、まともにしたことが無かったような女の子だ。

    「もっと……ゆっくりいかなきゃ、だな」

   ポットからティーパックを引き上げてダストボックスへ突っ込んだ。

   そうだ。
   もっと、ゆっくり、ゆっくり。
   あいつのペースに合わさなきゃいけない。
   手に触れることも。
   キスだって。
   その先のことだって……

    「ははっ。中学ん時の友達が聞いたら笑うだろうな。俺が女のペースに合わ
   せてる、だなんて」

   でも、笑うなら笑えばいい。
   だって俺は……

   そんなちっぽけなことで、大切な人を失いたくはないから。


   ポットとカップをのっけたトレーを持って部屋へ入ると、結花がさっと何かを背後
   へ隠した。
   俺は、それに気づいて気づかないフリをする。

    「お待たせ。あ、そこの漫画、昨日買ってきたやつなんだ。今日持って帰り
   なよ」
    「え……あ、うんうん、ありがとー……」

   相変わらずの挙動不審な動きで、結花特製プリンの入ったバスケットを差し出
   してくれる結花の顔を、瞬時にちらっと覗き見る。
   ほんのり、頬が赤いような気がした。
   伏せがちなまぶたの上に重ねられているのは、俺が去年の初夏頃に結花に
   あげた、夕陽の色。

    ……今度、違う色の買ってやろう。

   結花からバスケットを受け取って、ふたを開けてみた。
   中には美味しそうなプリンが4つ。

    「あれ?4つもあるじゃん!俺、3つ食えるの?」

   ほくほく気分できいてみたけれど、

    「違うよ!秋元くんはひとつ。後は航太くんと秋元くんのお母さんの分。で、私
   も一緒に食べたいなーと思ってひとつ入れてきたから全部で4つなんだけど……
   そんなに欲しかったらあげるよ?私の分。秋元くん、食べて良いよ?」

   結花の、色んなところが好きだ。
   特にここが……っていうのは、絶対に決められない。
   そのうちのひとつが、結花のこういう気配り。
   素直に、可愛らしいなと思う。

    「結花……」

   バスケットをテーブルの上に置きながら、俺は結花の頭を引き寄せた。
   結花のくちびると触れ合う寸前に目を閉じる。
   けれど……

    「だ……だめっ!!!」
    「……へ?!」

   俺のくちびるに触れたのは結花のそれではなく、あったかい結花の小さな
   手の平で……

    「な……んで、ダメなの?」

   初めてだった。
   結花にキスを拒まれるのは。

    「俺……さ、何か悪いこととかしたかな……?」
    「え!?あ……そ、そうじゃなくて!…ね……」

   少しだけ距離は取り直したけれども、俺は結花を引き寄せるために髪の隙間
   に差し入れた手を、離さなかった。
   どこか一部分でも良いから結花に触れていないと、不安で不安でたまらなか
   った。
   けれど俺は、精一杯平静を装う。
   俺が少しでもそんな素振りを見せてしまえば、確実に結花にも同じような不安
   を抱かせてしまうことになる。
   結花は、人の様子や反応に恐ろしい程敏感だから……

    「プリン、食べようか」

   なかなか何を思っているのか話を切り出してくれない結花に、俺はできるだけ
   優しく降参の言葉をかけた。
   でも。
   紅茶にミルクを入れようと思って結花の頭から手を離そうとすると、結花は
   そんな俺の腕に、がしっとしがみついてきた。
   目に、今にも零れ落ちてしまいそうな程の涙を溜めながら。

    「違うの!秋元くん、違うの……!」

   震える声で言葉を紡ぐたびに、結花の目に溜まった涙が部屋の灯りを反射
   してきらきらと光る。

    「私……から、秋元くんに………したい」

   息が、止まりそうになる。

    「今までは…あの…その…いつも、秋元くんが、私にキスしてくれてたの。
   だから…私も…私から、秋元くんに……したいって、ずっと思ってた」

   噴火寸前の如く真っ赤な顔をした結花がうつむいた拍子に、結花の目に溜ま
   っていた涙がぽとりと落ちた。

   俺は何も言わずにメガネを取って。
   そして、結花に向けて、そっと、目を閉じた。

   結花が、俺の腕を握る手に力を込めていく。
   少し、痛いくらいだった。
   結花が、どれほどの勇気を振り絞っているのかが、俺の腕から伝わってくる。

   結花のくちびるがやってくるまでの瞬間が、ひどく待ち遠しく、もどかしかった。

   ――と。
   しばらくして、いつものあったかくてやわらかい結花の感触が、俺のくちびるを
   伝った。

   けれど……そのキスは、震えていて。
   結花の震えるくちびるが、俺のくちびるも震わせた。

   おさなくて。
   つたなくて。
   ただ、触れるだけの。


    どうしよう……
    泣きそうだ。


   その愛しさに、俺のカラダは思わず勝手に動きだそうとする。

   けれど、その時。
   ぽとん……と、俺のあぐらの上に、何かが落ちた。
   結花には悪いなと思いつつ、半ば反射的に薄っすらと目を開けてしまう。
   素早くその物体が何かを確認してみると。それは、小さな手鏡だった。

   突然、結花のくちびるの感触が消えてしまう。

    「……あっっっ!」

   急いで俺の足の上に落ちていた手鏡を取ると、スカートのポケットの中へ突っ
   込んだ。

    「えっとね、こ、これはね、えっと、あの、そのーー」

   だんだん消え行く言葉の先を、俺は追及したりはしなかった。
   女の子なら、誰でも手鏡なんて持っているのが普通だろう。
   でも。
   結花は特別、バカ正直な女の子だから……

    「私………すっごくすっごく、練習したの!」
    「練習……?」
    「そう。秋元くんみたいに、ちゃんと上手くキスができるように……でも、練習相手が
   いないから……あ、そんなの当たり前なんだけど……だから、この手鏡の向こうの
   自分相手に…あの…その……」
    「練習、してくれたんだね」

   結花は恥かしくてたまらないといったふうに、目をきゅっとつむってうつむいた。

   もう……
   俺は止まれない。
   止められなかった。
   再び結花の頭を引き寄せて、小さく震えているまぶたにキスをする。
   それから、鼻のてっぺんに。そこは、少し冷たかった。
   少し長めに。俺のくちびるで、温める。

    「あ…きもとくん?」
    「頼むからそういう可愛いことすんの、やめてよ。俺、結花のこと、どうにか
   しちゃいそうになる」
    「え……」

   結花の細くて小さなカラダを力いっぱい抱きしめた。
   このあったかさは俺のものなんだと。
   分かってはいても。それでも何度も確認せずにはいられない。

    「結花が好きで好きでどうしようもないよ。あんなキス、初めてだった。
   結花、上手にできたよ」
    「ほ……ほんと?」

   うなずくかわりに、結花のくちびるへキスをした。

   俺には到底真似できない。
   さっき、結花が俺にくれたようなキスは……

   

   ねえ、結花?
   プリンを食べたら、もう一度キスをしよう。

   もちろん、キミから。



   end



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