プロローグ


 「うっっ……」
 こらえきれず、低いうめき声がもれる。
 うつむいた床の上にぽたぽたと鮮血が落ちていくのが、霞んだ視界の端に見えた。
 それでもネスは、アリアのそばを離れようとはしなかった。
 自分の足元に横たわって目を閉じるアリアの首筋に、指でそっと触れる。
 脈はまだ小さくふれているけれど、直に最期のときはくるだろう。
 「アリア。君と出会えて本当によかった。ヒカリを生んでくれてありがとう……」
 アリアの耳元でネスは小さくささやいた。
 まだ届くだろうか……届いて欲しい。
 そして、アリアの腕の中ですやすやと寝息を立てているヒカリを、やさしく抱き上げる。
 自分のマントの中にヒカリを隠し、ネスは最後の力をふりしぼって呪文を唱え始めた。
 「ネス、何をしておる!早くそいつをこちらへ渡さんか!!」
 数メートル先で、神が杖に寄りかかりながら怒鳴っている。
 「そうすれば、お前の命だけは助けてやろう。もう一度お前にチャンスをやる……ぐぅっ」
 神も、先ほどのネスの攻撃をまともにくらい、少し前かがみになっている腹からは血が滴り落ちていた。
 しかしネスにはもう、神のことばは届かない。
 大きく負傷しながらも、人生最初で最後の賭けに出る準備中だ。
 かすれる声で、しかし一言一句漏れのないよう、完璧に呪文を唱えていく。
 こんな日がくるかもしれないと――
 アリアがヒカリを身ごもったときからずっと訓練を積み重ねてきた。
 失敗は許されない。
 ネスは、マントの中で寝息をたてる我が子を、その存在を確かめるかのように抱きしめた。
 自分もこれで最期になる。
 もう、二度と会うことはできないけれど。
 それでも、どこかで生きていて欲しい。

 ――ヒカリ、生きて。生き延びていつの日か……

 次の瞬間、ネスのマントから、目も眩むばかりの閃光が四方八方へ飛び散った。
 その閃光を切り裂くかのように、神がネスめがけて杖から火柱を放つ。
 よけきれずマントに火がつき、ネスは瞬時に留め金をはずしてマントを振り投げた。
 その中に……
 ヒカリの姿は、無い。
 
 「お前……忌まわしい<地空一族の末裔>をどこへやった」
 神の声は怒りに震えていた。
 二人の間に、焼け焦げたマントの端々がひらひらと落ちていく。
 「自分が何をしたか、わかっているのだろうな、ネスよ」
 ネスにはもう、反逆できる程の力はまったく残っていなかった。
 ヒカリを守ることだけで、精一杯だったのだ。
 それでも、手をついて片膝で身体を支え、鋭い目で神を睨みつけた。
 「あの子は誰にも渡さない。わたしたちの愛しい子です」
 「……お前ほどの男が。本当に腐ってしまったのだな……情けない」
 「いえ……」
 ネスは最後にもう一度だけアリアの顔を見つめ、微笑みかけた。
 そして、ゆっくりと立ち上がる。
 もうひとつ。やるべき仕事が残っている。
 「腐ったのはあなたです、神。わたしは、あなたに仕えたことを、心から恥じます」
 「な……んだとっっっ?!!」
 神の顔が、みるみる赤く歪んでいく。
 「お前の命はもう無いぞ」
 「いいでしょう……そのかわり……」
 鞘から剣を引き抜き、ネスは構えた。
 せめて、相打ちに――

 「あなたも道連れです!!!」



 * * *



 薄れ行く意識の中でネスが最期に見たのは、柱に隠れて泣いている、幼き教え子だった。
 泣くな……男の子だろ。
 強くなれ、ゼロ。
 つよく……

 いつの日か、お前が守りたいものを、守るために。





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