1 その扉のむこう


 「ヒッカリー!!」
 芦屋ヒカリは、学校の正門を出たところで、その呼び声に振り向いた。
 校舎から、いつもつるんでいる仲良しの優美が全速力で駆けてくるのが見える。
 「今日は、ほ、んとに、まっすぐ、帰る、の?」
 ヒカリに追いつき、肩で息をしながらたずねる優美を見て、ヒカリは苦笑した。
 「そんなに凄い勢いで走ってこなくてもいいじゃない……」
 大きく上下する優美の背中を丁寧にさすりつつ、ヒカリは親友の息が整うのを待った。
 「今日は寄り道しないって言ったでしょー」
 「だって、明日はヒカリの誕生日でしょ?今日は角屋でヒカリの好きなケーキセット奢ろうって、ずいぶん前から決めてたんだもん!」
 「マジで?えっと……それ、すっごいうれしいんだけど」
 いや、本気でうれしい……うれしいです。でも……
 ヒカリはふと、笑顔を歪めた。
 角屋のケーキは、ヒカリの大好物だ。
 いつもなら何も迷うことなく、喜び勇んで優美について行ってることだろう。
 けれど……

 ――エスカレートしすぎている。

 ヒカリの周りで起こる、奇妙な出来事。
 かれこれ、一ヶ月くらいになる。

 始めは、かわいらしいことばかりだった。
 終業ベルが鳴ったときは気持ちの良い晴天だったのに、帰る用意をして5分後に下足室を出ると外は豪雨。
 休み時間トイレに行って、個室が全部あいてなかったから並んで待っていたら、後ろからきた優美に、何やってんの?入らないんなら先に入っていい?と言われ、あらためて個室を見ると、全部あいていたり。
 携帯が、どんな場所にいてもずっと圏外だったりはしょっちゅうあること。

 でもやっぱり、なんかおかしい……

 そう確信したのは、一週間前の夕飯時のことだった。
 ツタ子ママと兄のカイ斗とヒカリの三人でいつものように夕飯を食べていると、ヒカリの分のお味噌汁のお椀が、何もしていないのにすーっと、テーブルの上で数センチ動いた。
 始めは気のせいだ、と思い、お笑い番組のついているテレビに視線を戻した。
 しばらくしてまた違和感を感じるので手元を見ると、お椀は待ってましたとばかりにするすると左右に動きだす。
 ヒカリはビックリして、思わず凄い勢いでお椀を手に取った。
 豆腐の入ったお味噌汁が大きく揺れて、テーブルに少しこぼれてしまう。
 「おいー、何やってんだよ!お前ほんと落ち着きない女だなー」
 同じ高校に通う3年生の兄・カイ斗に眉をひそめながらそう言われて、気がついた。
 お椀が動くのは、どうやらヒカリが見ているときだけらしく。
 ツタ子ママとカイ斗は、お椀が動くことをまったく知らないようだった。
 なんで……??
 16歳の誕生日目前にして、霊感でもアップしたのだろうか。
 小さくぶるっと震え、心の中で、そんなのいらないよーとつぶやいた。
 しかし、そんなことは序の口だったんだと、今になって思い知らされる。
 程なくして、前下がりの不揃いなおかっぱ頭をぐしゃぐしゃかき乱しながら嘆かなければならない夜が続くようになった。
 眠りに落ちてしばらくすると、どこからか、
 『ヒカリ……ヒカリ…………』
 と、自分を呼ぶ声がきこえてきて目が覚める。
 夢の中での出来事ならば、目が覚めればきこえなくなるのだけれど、この場合は目が覚めてから本番のゴングが鳴った。
 フェイドアウトすることすらなく、その声はますます大きくなっていく。
 鼓膜がピリピリするくらい、はっきりときこえる。
 なのに、その声は男か女か判別のつかない、不思議な声で。
 ヒカリは耳を押さえながら、「うびーーーー!!」と声にならない声を発しつつ、幽霊なんかに負けるもんか!でも怖すぎるんだけどー!!
 という具合に、気を紛らわさなければならなくなった。
 そして隣りの部屋からカイ斗がすっとんできて、心配で駆けつけてくれたのかと思いきや、喧嘩腰にヒカリの部屋のドアを足でドカっと蹴り開け、「うるせーんだよ!この極薄胸チビ!!悲鳴あげるんならもっと女らしい声だせ!!」
 と、怒鳴って去っていくのだった。
 行かないでー!!とカイ斗の足にすがりたい気持ちでいっぱいのヒカリだったが、はたと我に返る。
 アイツ……また『薄胸』言いやがった!しかも若干乙女心が挫けるようなことまで言ったのではないだろうか?!あたしはあたしなりにこの乳励ましとんじゃー!!と、カイ斗の後姿に思い切り枕を投げつけてやるのが常だった。
 朝起きれば、昨夜寝る前に枕元に置いたはずの読みかけの本が忽然と姿を消している。
 探しても探しても、もう二度と見つからない。
 そして酷い時はつけてもいないのに、部屋のエアコンが勝手についている。しかもまだ肌寒い4月に冷房風量MAXで、あやうく大風邪をひきかけた。
 医者である父に早めに診察して貰えたおかげで、大事には至らなかったけれど。

 あたしだけならまだいい。
 けど……

 どしたの?と可愛らしく小首を傾げる優美を、ヒカリはじっと見つめた。
 あたし以外に何かあったら、困る。
 特に優美は、高校に入ってからやっとできた、唯一の友人だ。
 ヒカリは小さい頃から、その特殊なエメラルドグリーンの瞳と、どうしたってはずすことのできない両耳たぶに揺れる涙型の、目が覚めるような青いピアスのせいでよくいじめの対象になっていた。
 中学生の頃。同級生の親たちが、自分の噂話をしているのを横目で見ていた。ツタ子ママ、カイ斗、惣太郎パパ。みんな、あたしの本当の家族じゃないこと。あたしは、芦屋家の、本当の子じゃないってこと。
 そんなの、とっくに知ってるよ。その頃の記憶はまったくないけれど。
 あたしは小さい頃、裏山でひとりぼっちで行き倒れていたらしく、それを山菜採りに来ていたツタ子ママとカイ斗が偶然発見して。
 人のいいツタ子ママは、あたしがみなしごだってことを知って、芦屋家で引き取って育ててくれる決心をしてくれたそうで。
 そんな話をツタ子ママから聞いたのは、小学校に入ってすぐの頃だったかな。

 ほんとに、自分が今までいじめられてきて余計に知った。
 芦屋家のみんなは、バカがつく程人がいい。


 「……リ?ヒカリってば!」
 優美にがくがくと両肩を揺さぶられて、ヒカリは我に返った。
 「あ、ごめんごめん、ごめんね優美」
 大切にしたい。
 優美と、自分の家族だけは。あたしの、大切にしなきゃいけないもの。
 「ヒカリ、ごめんばっかり。やっぱ今日は絶対無理なの?」
 くちびるを尖らせる優美は、とっても女の子らしくて可愛い。
 あたしにはマネのできないようなことで、うらやましい限りだと、ヒカリは心の片隅で思う。
 小さい頃から色んなものに負けたくなくて。特に、兄にはよく決闘を申し込んだ。兄も真に受けてくれるものだから、ヒカリはカイ斗に言われても仕方のないような、男勝りの女の子、でココまで育ってきてしまった。
 「また今度。今度は、絶対に行こう、角屋のケーキセット」
 ヒカリは優美の手をきゅっと握って、微笑んだ。
 「うん、絶対だよ!」
 優美もヒカリの手を握り返す。
 しばらくお喋りしながら歩いて、それぞれの帰路の分かれ道でバイバイした。
 歩いていく優美の背中を、ヒカリはしばらく眺めていた。
 ――なんだか、突然、胸騒ぎがした。
 明日、優美と会えないような。
 もしかしたら、もう永遠に会えないのかもしれない……
 急に、そんな気がして。
 怖いような、悲しいようなきもちが押し寄せる。
 ヒカリは優美の背中が完全に見えなくなってからやっと踵を返し、自分の家へ向かって歩き出した。


 * * *


 「ただいまー」
 玄関を開けても、いつもすぐに返ってくるツタ子ママの「おかえりー」が、無い。
 出かけてるのかな……パパの病院手伝いに行ってるのかな。
 再び、さっきのような胸騒ぎがやってくる。
 「カイ斗ー?」
 だいたい帰宅するとソファでとりあえず寝転がっているカイ斗を確認しようと、リビングに向かう。
 けれど、そこにカイ斗の姿は無い。
 急激に強い寂しさが込み上げてきて、ヒカリは猛スピードで階段を駆け上がった。
 自分の部屋のドアを、カイ斗がいつもそうするみたいに、足でドカっと蹴り開ける。
 よい子は絶対マネしちゃダメ!
 そしてその勢いで制服も着替えないまま、ベッドに突っ込んだ。
 嫌だ……なんか。
 誰でもいいから、早く、早く帰ってきて……
 背後で、開けっ放しにしていた部屋のドアが、パタンッと閉まる音がした。
 ほら、またそうやって勝手に閉まる。
 誰も何もしてないのに、勝手に閉まらないでよ。
 なぜ、誕生日が迫るにつれてエスカレートしていくんだろう、この奇妙な出来事は。
 ヒカリは顔を上げると、キッとドアの方を睨みつけた。
 幽霊だろうがナンだろうが、あたしは負けない――喧嘩上等だこのやろう!
 その途端、

 トントン

 ドアが、ノックされる。
 閉まったドアの向こうに、誰かが、いる。
 カイ斗が帰って来たのだろうか……それなら、一旦ドアを閉めるなんてまわりくどいことしないで欲しい。そういう冗談、今のあたしにはキツすぎる。
 もうこの際、薄胸でもオトコオンナでも、何とでも言ってくれて構わないから、そばにいて欲しい。
 「カイ斗?」
 ヒカリはベッドから起き上がると、ドアに向かって歩みを進めた。
 カイ斗の返事は、無い。
 「……カイ斗、なんでしょ?」

 『ヒカリ――――』

 ドアの向こうのその声が。
 カイ斗の声に、その時はきこえたから。

 「なーんだ、やっぱりカイ斗なんじゃん……」

 早く、その嫌味たっぷりな笑顔が見たくて。
 あたしは、開けてしまった。

 開けてはいけない、危険な扉。
 その向こう。
 待っていたのは、あたしの人生二度目の、危機。





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