2 はるか彼方の真実


 真っ白だった。
 扉の、向こう。
 何が何だかわからないまま、あたしは一歩、踏み出した。
 その瞬間、世界に色が戻った。
 けれど……

 「なんじゃここはー?!!」

 絶叫したその先には、気味の悪い深海魚みたいなのが漂う水槽、くつくつ音をたてている何が煮られているのかわからない大釜、そこかしこに天井に届きそうなくらい山のように積み上げられた古びた本たち。
 そして何より・・・
 「え、えっっっ!!やった、もしかして成功?!!」
 ヒカリはすぐ目前に立っているその瓶底メガネのハイテンション男を凝視した。
 薄汚れた服に身を包み、銀色の長髪は無造作すぎるハーフアップのおだんご頭……というよりか本当にまとめただけ、みたいにくたーっとしたおだんごが情けなく頭を垂れている。
 そして無精ひげ満載、尚且つ年齢不詳なその男は、両手に三本ずつ火のついたロウソクを持って、鼻息も荒くヒカリにずりりとにじりよってくる。
 「ぎゃー、近寄るなーー!!!」
 もちろんヒカリは叫ばずにはいられない。
 こんなにも不気味な男に出会ったことは、人生初だ。
 というか、本当に人間なのかも定かではない。
 もしかするといよいよ登場したお化けなのかもしれないのだ。
 更に男は、それでも足りないという具合に額に巻いた布にもロウソク(もちろん点火済み)を三本差した状態で、嬉しそうに目を輝かせながらヒカリにがばー!っと覆いかぶさってきた。
 ヒカリが反射的によけると、男はそのままヒカリの後ろの石壁に突進し、ゴンっと豪快な音をたてて床に崩れ落ちた。
 「ちょ……ブレーキくらいかけなさいよ、っていうかそもそもあんたは誰なの・・・?!カイ斗は?ツタ子ママは?あたしの16歳の誕生日はー!!!」
 床の上で大の字に伸び、頭上でひよこがピヨピヨと回っているその男を、ヒカリは力任せに揺さぶった。
 男の頭がかくかく大きく波打つ。
 額に巻きつけた布に差されていたロウソク三本はさっきの衝撃で粉砕されていて跡形も無い。
 「うぐー……どうやら人間界では素晴らしい教育を受けているようだね。知らないおじさんには警戒心剥き出しで挑むべし、か」
 痛てててっと、後頭部をさすりつつ上体を起こし、瓶底メガネをはずして石壁にもたれた。
 「にんげん……かい?」
 もちろんあたしは人間だとも。
 っていうことはあんたやっぱりお化け……!?
 しかしそんなヒカリの怪訝な顔を、男はうっとりと見つめてくる。
 まるで久方ぶりに、いとしい人に会えたかのような。
 潤んだその男の瞳に、ヒカリはたじろいだ。
 「よく無事で。よく、ここまで生き延びてくれたね……」
 そう言うと、男の目が徐々に赤くなっていった。
 「え、ちょ、ちょっと……何で泣くかな」
 まるで自分が泣かせてしまったみたいなその状況に、ヒカリは焦る。
 恐る恐る男の前にしゃがみこむと、制服のスカートのポケットからハンカチを取り出して、男に差し出した。
 そして、差し出しながら男の顔を初めて間近で直視して、ヒカリはあんぐりと口を開けた。
 なんと瓶底メガネを取ったその顔は、目が覚めるような美形だったのだ。
 色も白く、とても端正な顔立ちで……
 瓶底メガネの意味がまるでわからない。
 「あのー、余計なお世話かもしれないけど、あんた、瓶底メガネかけない方が見ためぐんとよくなるよ。目、そんなに悪いの?」
 男はヒカリの差し出したハンカチを手早くひったくるようにして取ると、ちーんと鼻をかんで、言った。
 「このメガネはかけておかないとダメなんだ。ドリーに叱られるから」
 「ドリー?」
 「うん。めちゃくちゃ怖いんだ。ちゃんと言う事きかないとどんな目にあうか……」
 そう言いながら頬を赤らめる男は何だか少しうれしそうにも見えて、ヒカリは不思議に思った。
 でも、明らかに瓶底メガネはずした方が……
 「ぼくはヴェル」
 ぐずぐず鼻声で、男はぼそりとつぶやいた。
 「え……?」
 「君の本当の父親の、親友だ」
 「……あたしの、本当の、とうさ……ん?」
 「そう。厳密には、親友だった、って言った方が正解なんだけど」
 突然の男……いや、ヴェルのことばに、ヒカリは思考回路がショート寸前になる。
 「ヒカリを人間界から召還したのは、このぼくだよ。ヒカリが16歳になったら、もう一度この世界へ呼び寄せるよう、君の父と約束していた。色々怖がらせて悪かったねえ。あれは全部ぼくのしていたことだ。予告っていうか何ていうか」
 「……何、何の話なのコレ?あんたやっぱりお化けなの?」
 困惑を隠せないヒカリの問いに、ヴェルは大爆笑した。
 「あはは、ヒカリは面白い子だねえ。これならますます希望がもてる」
 そういうとヴェルは、挑戦的な眼差しでヒカリを見据えた。
 「ヒカリ、君には使命がある」
 「――使命?」
 「そう……君が、この世界に平和を取り戻すんだ」
 ヒカリはもう、開いた口がふさがらない。
 「この世界はヒカリが今まで暮らしてきた世界と違う異次元にある異世界。しかしながら、ここがヒカリのふるさとなんだよ」
 「人間界では皆、海に浮かぶ陸地に住んでいるだろう。それと同じ、こちらの世界でも地上に住む『地の民』がいる。しかしぼくたちが今いるここは、その陸の遥か上空に浮かぶ島々のひとつ、プリアラモド島。この5つの島々に住むのが『空の民』と呼ばれている。そしてヒカリは――」
 いつの間にか、ヴェルの白い腕が伸びてきて、ヒカリは髪を撫でられていた。
 ゆっくりと。とても、おだやかなリズムで、ヴェルの指がヒカリの髪をすべる。
 ヒカリは少し身じろぎしたけれど、本気で抵抗する気力も無い。
 それはもう、脱力に等しかった。
 「ヒカリは、この島々を統べる神から忌み嫌われている、地の民と空の民の間に生まれた混血族、『地空一族』の末裔だ」


 * * *


 少し休もうか。
 そう言って話を中断すると、ヴェルはヒカリのそばをはなれた。
 今は大釜に向かって何やら長い棒でどろどろしたその中身を楽しそうにかきまぜている。
 丹精込めまくり中のその後姿を、ヒカリはぼんやりと眺めた。
 今。自分の身に起きていること。
 もう一度、整理してみる。
 とりあえず、ここはいつものあたしの部屋ではない。
 でもってあたしは、実は人間ではない。
 なぜかわからないけれどこの世界の偉い人に命を狙われている『地空一族の末裔』、だそうだ。
 そしてあの変態(とほぼ確定)、ヴェルは、どうやらお化けではない。
 だけどお化けではないかわりに……
 あたしがずっと密かに探していた、本当の父親の親友だという。
 
 この、1ミリも自分の中で確かなものが無い世界で……
 ――さあ、どうする。

 「あのさ……」
 ヒカリは正座を崩してゆっくりと立ち上がると、ヴェルに近寄っていった。
 「ん?」
 ヒカリを振り返るヴェルは、もうちゃんと瓶底メガネを着用済みだ。
 やっぱり着用中はどうも間抜けに見えるが、ドリーとやらに叱られないためにはそれも仕方がないらしい。
 「あたしが、この今の状況すべて飲み込んで、その使命とやらに挑戦する確率……あんたの中で、いかほど?」
 「……」
 ヴェルはしばらく口を開けたままヒカリを見つめていたが、かきまぜ棒から手をはなすと、ヒカリに向き直って瓶底メガネをはずした。
 変態モードオフの表情で、ヒカリに近づいてくる。
 互いの息づかいが感じられるまでに間合いをつめると、ヴェルはヒカリの顔をのぞきこんだ。
 前髪と前髪が擦れるほど、近い……
 「ゼロ……」
 ヴェルのつぶやき声に、ヒカリは首をかしげた。
 するとヴェルは、今度ははっきりと、言った。
 「ゼロだ」
 
 ――かちんっっっときた。
 売ったよね、今。
 このあたしに……喧嘩ってやつを。

 ヒカリはヴェルの胸倉をつかみあげると、大きな声で言った。

 「上等。で、あたしは何からすればいい?」





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