5 色のない瞳


 あと数センチで顔と顔がくっつきそうな距離間に耐えながら、ヒカリはありったけの勇気をふりしぼり、出た言葉が、

 『あたしはヒカリ。本日付で、あなたの小間使いに任命されました!』

 だった。
 予期せぬ出逢いになってしまったが、早かれ遅かれ、ドリーを通してゼロに紹介されていたとしても、ヒカリはこの台詞を言うことになっていた。
 ――ヴェルの牢屋から出発する前。
 ヴェル、ドリー、ヒカリの三人でプチ会議を開き、これからどのようにしてゼロフィスに接近するかを議論し合った結果はこうだった。


 とにかく、いついかなるときもゼロフィスにくっついているべきだ。
 そうすればいくら冷酷無慈悲と謳われる彼でも、そのうちヒカリに情が湧くだろう。
 そこをついて、ゼロの懐に飛び込むんだ!
 (↑と最後に言い放ったのは紛れも無くヴェル)

 というわけで、ヒカリは自分の本当の正体は隠しておくよう二人からきつく言われ、架空の人物を演じることになっている。
 ドリーの遠縁に当たる少女で、この度両親を一度に亡くし、身近に頼れる血縁の者がおらず、はるばるナポレオ島からドリーを訪ねてやってきた。
 しかし、ドリーはこれでもかというくらい小間使いを雇っているのでこれ以上増やしたくはなく、それなら総指揮官様のくせに人っ子ひとり使用人を抱えていないゼロフィスに、ヒカリに可愛いリボンをかけてプレゼント……ということに相成っている。
 そして実際にリボンはかけられていないが、ドリーが持参した空島でもっとも美しいとされているらしい生地で作られた、透け観抜群!ドリー仕様★な、小間使い用制服に着替えさせられているのだった。
 胸元と足元が異様にスースーして、ヒカリはそれだけでかなり気が滅入った。
 ヒカリが人間界で着ていた高校の制服は、綺麗にたたんでヴェルの隠し戸棚に入れられた。
 いよいよ後戻りできないんだなという気持ちになって、ヒカリは少し弱気になりかけている自分に活を入れた。
 ピアスにやさしく触れ、自分の本当の父を思い描く。
 『父さん、あたし頑張るね。見ていてね』

 
 全然心の準備が整っていなかったせいなのか、勢いよく言ってはみたものの、目頭が熱くなってくる。
 ヒカリは込み上げるものを押さえ込むのにも、それ以上ゼロフィスに距離を詰められないようにするのにも、必死だった。
 「は?小間使いだと?……俺はそんなものは誰にも頼んでいない」
 「いえ、あたしは確・か・に!ドリーにゼロフィス様の小間使いになるよう仰せ仕りました!」
 ヒカリはとにかく自分の顎にかけられているゼロフィスの手をはずそうと、その細長い腕を掴んだ。
 力を入れて押してみるが、びくともしない。
 ――お願いだから離れてよっっっ!!
 
 その時だった。
 ゼロフィスの視線がヒカリの顔から離れ、下の方におりていく。
 ヒカリは違和感を覚えた。
 自分のスースーする胸元が更に少しスースーが増したような気がして、ヒカリも自分の胸元に視線をおろしてみる。
 「……お前、女…………だよな?」
 襟ぐりに手をかけて大きく広げ、その中を覗き込みながらゼロフィスが不思議そうに問うてくる。
 ヒカリの頭から、ブチっと何かが切れたような音がした。
 ヒカリは右手をぐぐうっと握りしめて拳を作ると、何の迷いもなくご主人さまの顔面めがけて捻りこんだ。

 いくらご主人様だからといって、言って良いことと悪いことはある。
 っていうことを、教えてあげないといけない。

 これが、ヒカリの小間使いとしての、初めてのお仕事になった。

 ゼロフィスに接近どころか、少し距離が生じてしまったような気もするけれど。
 たぶん、気のせいだろうと。
 ヒカリは思うことにした。


 * * *
 
 
 「ドリー、あれはいったい何の真似だ」
 ゼロフィスは暁の間へ足を踏み入れると、自分の席にはつかずにすぐさまドリーににじりよった。
 既に到着している他のメンバーには聞こえないよう、小声で、しかし威圧感たっぷりにドリーの耳元で言う。
 ドリーは涼しげな顔で化粧直しをしていたが、鏡の入ったコンパクトを閉じて胸の谷間に押し込むと、艶めいた瞳でゼロを見た。
 そうか、会っちゃったのか……と内心では少しだけ焦るが、そんな焦りは最近気になり始めた小皺よりも簡単に隠せてしまうのがドリーだ。
 「何って。ゼロったら未だに雇ってないんでしょ?使用人。いくら女が嫌いだからって、ファルコの総指揮官たる者が世話係りの一人や二人もつけてないんじゃ格好がつかないじゃない。ゼロが自分で自分のパンツ洗ってるところとか想像すると、正直テンション下がっちゃうのよねー。せっかくの美男子が台無しよー」
 「自分のことは自分でする。そもそも俺はお前のテンションなど上げ下げするつもりなど全く無いっっ。それに推薦するにしても、もっとマシな奴がいるだろう。何だあの……女か男かわからんいきものは!」
 きょとんとするドリーに、ゼロフィスはしまった……と思ったが後の祭りだった。
 こんなにも語気を荒くしたのはあまりにも久しぶりのことだ。
 ドリーはそんなゼロフィスに付け入るように、更にいやらしい瞳でぐいっとゼロの顔を覗きこんだ。
 「女か男かわかんなくてー、どうしたのー?まさか………」
 「さ、触るわけがないっっ!一見女に見えなくも無いが、小さい身体なのにお前よりも怪力だった。その上、胸が……薄……」
 「確認したわけね」
 ゼロは珍しく頬を赤らめてそっぽをむいた。
 だから女は嫌いだと。あからさまに表情に出ている。
 その顔を見られただけで、ドリーは大満足だった。
 「ふーん。その目の横のアザは、そーゆーこと、か。グーでやられたの?」
 「……グーだ」
 「でしょーねー。痛そう……」
 ゼロフィスは波立つ心を落ち着けると、ドリーに向き直った。
 「俺は小間使いなどいらんからな」
 言い捨てて席につこうとするゼロフィスに、ドリーは用意していた言葉を投下した。

 「ひとりぼっちになるよ、あの子」

 ゼロフィスが無表情で振り返る。
 恐ろしい程感情の色が消えた瞳で、ドリーを見据えた。

 「つい最近、両親一度に失ったんだって。昔のあんたみたいね、ゼロ」
 ドリーは悪びれること無く、くすりと笑った。
 「でもあんたはある意味一度じゃなくって二度失ってるもんね」
 ゼロフィスはもう何も言わず、ドリーの紅いくちびるを黙って見ていた。
 
 よろこびも、かなしみも。
 期待や不安や怒りも。
 誰かがそばにいる安堵感も。
 全部、捨ててきた。
 ゼロフィスにとって、それらは全部、邪魔になるからだ。
 守るものなど、何も無い。
 怯えることなく斬る。
 かたちの有るものも、無いものも。
 迷いなどしなかった。

 なのに――

 ゼロフィスは奥歯を噛みしめた。

 
 ――あいつはいったい…………何者だ?





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