6 近づきたいのに遠くなる その誰もが見惚れる長い金髪を手櫛で梳きながら、ドリーは息を整えていた。 神の『お告げ』を聞き終えると、ドリーはゼロフィスを引っ張って暁の間を後にし、ヒカリの元へ向かった。 そして三角座りをして俯いていたヒカリを立たせると、強引にゼロフィスに押し付けてその場を走り去ったのだった。 呼吸が落ち着くと、ドリーは木造りの扉をゆっくり押し開けた。 すると、すぐ脇から豪快ないびきが聞こえてきて、ドリーは思わず顔をしかめる。 ヴェルの牢屋の見張り番はさっきヒカリを召還してから今まで、ずっと眠らせたままだった。 気持ち良さそうにすやすや眠る見張り番を横目に、ドリーは思う。 ……これから十分過ぎるくらいお昼寝の時間が増えるわよ。いびきは何とかして欲しいけど。 「ドリー。どうだった?」 鉄格子の向こう側で、ヴェルが瓶底メガネをはずしながらドリーに訊ねてきた。 「どうもこうも……私が紹介する手間はぶけちゃったわよ」 「えっっ?!じゃあ、二人だけで鉢合わせしちゃったってこと?!!超危険なんだけど!!」 「……ヴェル、その『超』っていうのやめて、何だかキモチ悪いから。それから……」 ドリーはもう鉄格子の向こうへは入らない。 すぐに、自分の島・ミルフィユ島へ戻らなければならないからだ。 ヴェルの牢屋へ寄ったのは、伝達事項があるから―― だけでは、もちろんなかった。 ドリーは眉を下げてふーとひとつため息をつくと、鉄格子の間から白い腕を伸ばして、ヴェルの袖口を掴んだ。 そのまま強引に手繰り寄せると、自分よりも頭ひとつ分上方にあるヴェルの美しく整った顔を見上げて、言った。 「あたしの前以外でメガネ取ったら……キライになるわよ?」 「…………ご、ごめんなさい」 ヴェルが口をぱくぱくさせながら謝るのを見ていると、可愛くて仕方なくて。 今すぐにでも抱きしめたくなる。 しかしそんな気持ちを全く表に出さないのも、やはりドリーなのだった。 掴んでいたヴェルの袖口を乱暴にぽいっと放り投げると、ヴェルは後方にわわわっ!と情けない声を出しながらよろめいた。 「伝達事項――」 ドリーの声音が、仕事用に変わる。 それを受けて、ヴェルも真面目にドリーに向き直った。 「神は……リヒカ=ラウルザフを捕らえたものに、後継者候補枠への昇進を約束する。そう言ってきたわ」 「……それは、ヒカリがこの世界へ戻ってきたことに、もう勘付いてるってことだよね?」 「そうね……」 「思ったより早いな。そろそろ引退考えてる爺さんとは思えない」 「ヴェル、ヒカリには言ってないわよね?あの子の本当の名前……地空一族の……」 「言うわけないでしょ!」 ヴェルは腰に手をあててふんぞり返る。 「神は人間界でのヒカリの名を知らない。ヒカリは、自分の地空一族の本当の名を知らない。それでいいんだ。ヒカリが自分の本当の名を知らない事が、彼女を守ることになる場合もあるからね。それに、ヒカリが本当の名を口にしない限り、あのピアスが彼女を守る仕組みになってるから、余計に教えられない」 「……あなたが作って、ネス教官がマモリナの魔法をかけたピアスね」 「そう。だから、絶対言わないでおくんだ。ねえドリー、ぼくはヒカリに何かあったら、ココを出る決心でいるよ」 今度はヴェルが鉄格子の間から両手を伸ばしてドリーを引き寄せると、きめ細やかなドリーの頬を優しく包み込んだ。 「正直、実際ヒカリに会ってみて……ビックリしたよ。ネス、生きてたんだね?って、言っちゃいそうになった。ネスに本当によく似てる、あの瞳が特に。思い出して、涙腺緩くなっちゃいそうなくらい。だから、そんな親友の頼みだからこそ、親友の娘をこんな危険なめにあわせるんじゃなかったのかもって、少し後悔してたりする」 ドリーは自分の頬に当てられた大きくてやわらかな手に、自分の手をそっと重ねた。 「…………あなたは、ネス教官が一番信頼を寄せた友人よ。その人があなたに託したことなんだから。もっと自信持ってやらなくちゃ。私は最後までやるわよ、あなた一人じゃ危なっかしいし。」 「えー、なあにそれー」 くちびるを尖らせてぶーたれるヴェルを見ていると、ほんとにかつてネスと共に神に立ち向かった大魔術師なのかと、今でも疑ってしまう。 ――ほんとに、可愛いひと。 心の中で呟くと、ドリーはヴェルから離れて、パチンと大きく指を鳴らした。 その瞬間、よだれを垂らしていた見張り番がハッと目を覚ます。 「あ……ド、ドリー様っっっ!!」 「ヴェルの様子を見に来ただけよ。特に怪しいことはしていないみたい。引き続きしっかり見張っておいてね」 「承知致しました!こんな不甲斐無いところをお見せしてしまい、申し訳ありませんっ!」 敬礼する見張り番を眠らせたのはヴェルで、ドリーも共犯だ。 本当はとても真面目で勤勉な見張り番の彼を多少憐れに思いながら、しかしドリーは最後にヴェルを一瞥すると、足早に牢屋を後にした。 * * * 「ついてくるなっっ!!」 「いーやーでーす!!!ついて行きますー!」 ヒカリは何とかしてゼロフィスのマントにしがみつき、彼が帰る離宮へお供しているところだった。 絶対、くらいついていかなければいけない。 じゃないと、よく考えてみれば、自分はこの世界では自活能力が限りなく0に近いのだ。 この世界の、右も左もまったくわからない。 生まれたての赤ん坊に等しい。 さっきからお腹もぐーぐー鳴っているし、何だかとても疲れたから夜はぐっすり眠りたい。 ――あたしのゴハンも寝床も、全部ゼロフィスが持っている! そう自分に言い聞かせ、踏まれようが引きずられようが、ヒカリは必死にゼロフィスの後について歩き回っていたのだった。 と、突然ゼロフィスが立ち止まり、ヒカリはその背中に勢い余って顔から突っ込んだ。 ゼロフィスの背中は彼のその冷たい瞳とは違い、とても温かくて、ヒカリは一瞬驚いた。 「ぶふっっ……ったーい、急に止まらないでくださいよ!ぺしゃんこの鼻がますますぺしゃんこに……」 鼻をつまんで痛がっているヒカリを、ゼロフィスはしばらくご自慢の冷気漂う眼差しで見ていたが、やがてヒカリに近寄ると、その頭にやんわり手をのせた。 小さい子を、あやすみたいに。 ――なんだ、ちょっとは優しいところもあるんじゃない。 「その通りだ。その見苦しいぺちゃ鼻ヅラを、俺の前に晒すな。わかったらさっさとドリーの所へ戻れ」 はー?ぺちゃ鼻ヅラ、だとー?! 今、はっきりそう言いましたよね、ご主人様? 「今のゼロフィス様のお言葉であたし、本当に腹くくりました。あたしは誰が何と言おうと、ゼロフィス様の小間使いですっ!」 一瞬でもゼロフィスのことを優しいと思ってしまった自分に腹が立つ。 ヒカリはゼロフィスに噛み付いた。 あんたのその高い高ーーいお鼻も、いつかぺしゃんこにしてやるんだから! 「…………そこまで言うなら、ひとつ試練を出そう」 「しれん……?」 「俺は女が嫌いだ。そして、お前は女だ。一応……」 「一応は余計です」 「要するにお前、女を超えろ」 …………は? 「あのー、仰ってる意味がよくわかりたくてもわからないのですがー」 「オランジュ島のバグズ軍隊に入れ。そこで男共にまみれながら、ひと月耐えてみせろ。まあ無理だとは思うが、もしも耐えることができたなら、その時にはお前は女を超えているはずだ。俺の小間使いとして認めてやってもいい」 それは……思ってもみないチャンスだ。 っていうか、小間使いとして認めて貰うには、やるしかない。 「バグズに話を通すから、三日後に出発しろ。それまではしょうがないから俺の羽馬(はねうま)の小屋で寝泊りさせてやる」 少し、近づけたような気もする。 けれど、実際にはゼロフィスの元を離れなければならない…… ――近づきたいのに遠くなる。 短気なあたしは、今すぐにでも例の話をゼロフィスにもちかけたかった。 だけど、ヴェルの言葉を思い出す。 『いきなり地空一族の解放なんか要求したら、間違いなく瞬殺される』 ……瞬殺は嫌だー。 やっぱり、時間をかけてでもゼロフィスに認めて貰うしかない。 オランジュ島のバグズ軍隊とやらで、男共にまみれて訓練に耐え、女を超えるしかない。 男共……まみれ…… その言葉を反芻するだけで、意識がぶっ飛びそうだったが、ヒカリは何とかこらえ、大きく首を縦にふった。 「もちろん……やらせて頂きます」 「ほう。やるのか。生きて帰れんかもしれんが、その場合俺は責任は取らんからな」 「はい、結構です。そのかわり……」 ヒカリは力強くゼロフィスを見上げた。 「あたしが無事に女を超えて帰還した暁には、必ず、あたしをあなたの小間使いにしてください。ゼロフィス様は男です、男に二言はありませんよね?」 ゼロフィスは一瞬、不意を衝かれた様子だったが、すぐにいつもの冷酷なマスクを装着する。 「無論――」 ■BACK ■NEXT ■空と大地のヒカリ TOP |