7 あまい雫


 「ああ、そうだ。明後日にそっちへ送る……一応女だから、雑用か何か、小間使いとして使ってやってくれ。隊訓練にはついて行けんと思う」
 『まあ、うちはちょうど女の世話係が欲しいと思っておったぐらいだから歓迎するが。しかしその娘っ子はお前を訪ねてやってきたんだろう?お前が面倒見てやればいいんじゃねーのか』
 ゼロフィスは大きなため息をついた。
 通信用の鏡の向こうにいるバグズに、少し苛立ってしまう。
 頼むから、素直に貰ってやってくれ……
 「……それが嫌だからこうやってお前に頼んでるんだろう、バグズ。こういうふうに行き先を手配してやってること自体がもう鬱陶しくて堪らないんだ。しかし、ドリーの差し金といえどもアイツの遠縁にあたる女だそうだ。せめて……」
 ――居場所くらいは確保してやっても。
 そう思う自分は、既に少し狂わされている。
 
   ――昔のあんたみたいね――
 
 ドリーの意地悪い微笑みが、頭をよぎる。
 ついで、ヒカリの一生懸命自分にすがりついてくる顔も。
 ヒカリと初めて会った瞬間、彼女に、不思議なほどの懐かしさをおぼえた。
 以前に会ったことがあるのだろうか……
 いや、そんなはずはない。ヒカリとは初対面のはずだ。
 しかし、一度視界に入ってしまうと、なぜか目を逸らすことができなくなる。
 特に、あのエメラルド色の瞳。
 思い出したくない人を、思い出してしまいそうになるのだ。
 ……だから余計、そばに置きたくないのだと。ゼロフィスは感じていた。

 失った人。
 大切だった。幼い頃失った、自分の両親とまったく同じように。
 ずっと、そばにあると思った。
 あたりまえのように。
 その人の顔を、ゼロフィスは今でも鮮明に覚えている。
 ネス=ラウルザフ。幼きゼロフィスの教官でありながら、第2の『父』だった、彼のやさしい眼差しを。
 そして、今でも思う。
 彼は愚かだったと。


 ゼロフィスは「後を頼む」と小さな声でバグズに言うと、鏡に手をかざした。
 バグズの苦笑いする顔が大きく揺れる。
 ゼロフィスの手が下りた鏡の向こうにはもうバグズの姿はなく、代わりに冴えない自分の疲れた顔が映し出されていた。


 ……腹の虫退治。
 ヒカリの腹の虫が頻繁に鳴っていた事に、ゼロフィスは気づいていた。
 自分は空腹感は滅多に感じない。
 食べないで生きられるものなら、そんなに素敵なことはない、そう思ってしまう程だ。
 ゼロフィスは書斎を出ると食堂へ向かった。
 使用人を一人も抱えていないというのは、そんなにおかしな事なのだろうか。
 ゼロフィスは早くに両親を失くした事もあり、幼い頃から身の回りの事はすべて自分でやってきた。
 自分にとっては、当然の事なのだ。
 ファルコの総指揮官という任務を背負っても、それは変わらない。
 ネス教官も、使用人は一人も持っていなかった。
 だから自分もそうしている……とは、思わない。
 自分がそうしたいからそうしているだけだ。

 ネスの事を頻繁に思い出してしまう自分に、激しく苛立つ。
 それもこれも、あいつが……ヒカリの目が、ネスに似すぎているせいだ。

 
 戸棚の中を隅々まで点検してみるが、やはり常備しているものは果物くらいしかなかった。
 もう市場はとっくに灯りが落ちているし、今夜はこれで我慢させるしかない。
 「何も食わさんわけにはいかんしな」
 とかなんとか言いつつ、自分が食べるわけではない果実の皮をむく自分に、とことん嫌気が差すゼロフィスだった。


 * * *


 「ヒヒーン!!」
 「ぎゃーーー!!わかった!あたしが悪かった!いや、何もしてないじゃんあたし……でもいいよ、あたしが悪かったです、だから近寄るなー!!」
 ヒカリはゼロフィスに中で待機しているように指示された小屋の隅っこで、絶叫していた。
 羽馬というゼロフィスの移動時の『足』となるらしいそのいきものは、人間界の白馬にキラキラ光る透き通った大きな羽を背につけたような、そんな外見で。
 小屋に入ってそのいきものを見た瞬間、きれい……と言葉を失ったヒカリだったが、それも束の間の話だった。
 羽馬はヒカリを見るなり食んでいた藁のようなものをブー!と吐き捨てると、鼻息荒くヒカリに突進してきたのだ。
 初めて見た時の穏やかで優しかった羽馬のつぶらな瞳は、今では爛々としていて、充血しまくっている。
 ――なんなのよこの拷問はー!!
 しかし逃げ惑うのもそろそろ疲れてきてしまった。
 それでなくともお腹がすいて、身体に力が入らないのだ。
 こんな暴れ馬と共に夜を過ごすなんて……しかも明後日まで。
 確実に身がもたない。
 それでも尚、羽馬は体勢を整えると、ヒカリへ飛びかかるべく前足を蹴り上げた。
 「おい、ラズ!何をそんなに喜んでいるんだ!」
 その声に、羽馬の動きがピタリと止まる。
 涙目で振り返った先には、小一時間程前にヒカリを置き去りにして行った、冷酷無慈悲がチャームポイントのゼロフィスが立っていた。
 「……よ、喜んでる?!この状態が、ですかー?!!」
 信じられるわけがない。
 この身体もろとも粉砕しそうな程の勢いでコイツは突進してくるのだ。
 現に、避けた後そのまま羽馬が突進した壁には大きな穴があいている。
 「お前、ラズに何をした?こいつは喜怒哀楽を表に出さない、とても温厚な性格なんだぞ」
 「な、何もしてません!小屋に入ってこの子と目が合った瞬間からこんな調子で……!っていうかもう体力がもちませんー!」
 ゼロフィスは腰にひっかけていたポーチの中から何やら木の実を取り出すと、ラズと呼ばれた本来美しく温厚なその羽馬に近寄り、たてがみを優しく撫でながらその口に木の実を放り込んだ。
 ラズは程なくして落ち着きを取り戻し、ご主人様の肩口に頭をすり寄せている。
 「こいつがこんなにも喜んだのを見たのは……しばらくぶりだ」
 ラズを撫で続けながら言うゼロフィスを、ヒカリは不思議に思いながら見つめた。
 落ち着いたラズはヒカリにも身体をすり寄せてくる。
 さっきまでのは一体何だったのかと思う程、穏やかに、やさしく。
 ……あたし、助けられた?
 「しかし、そんなちょろい体力じゃバグズ軍隊の訓練には到底ついていけんだろうな」
 そんな憎まれ口を叩かれても、今は不思議と腹が立たない。
 ゼロフィスは何も返してこないヒカリを怪訝に思ったのか、ラズから視線を変えた。
 「ということは、お前は俺の小間使い失格っていうことだ」
 
 「………まだ」

 まだ、わかんないじゃん。
 いいでしょ?挽回くらいさせてくれたって。
 って言いたいのに、声が出ない。
 なぜなら……

 「とりあえず、食え。腹減ってるんだろうが」

 ゼロフィスがぶっきらぼうにヒカリの前に皿を突き出す。
 その上に乗っていたのは、きれいに皮をむかれた、フルーツのような食べ物。
 その皿を受け取りつつ、ヒカリは込み上げるものを堪えるのに必死だった。
 でも、言わなければいけない。これだけは。

 「あ……りがとうございます」

 フルーツをひとつつまんで、口に運ぶ。
 あまくて瑞々しくて。シャリっとした口あたりは、梨のようで。
 その時のヒカリには、どんなご馳走よりも美味しく感じた。
 途端に、自分の中の堤防が崩壊する。
 止まらない。こぼれていく雫が。

 「お、おい、そんなに腹減ってたのかお前……」

 ゼロフィスの慌てている姿も、涙のせいでぼやけて見える。

 「減ってました。すっごく、すっごく!」
 「それならもっと……早く言えば、市場や店が開いてる時間なら、もっとちゃんとしたもの食わせてやれた」

 いらない、そんなの。
 あたしはこれがいい……
 
 いつの間にか皿の上のフルーツは最後の1つになっていて。
 ヒカリはそれをつまむと、ゼロフィスに差し出した。
 「ゼロフィス様も食べてください。きっと、何も食べてらっしゃらないでしょ?」
 ゼロフィスは首をふった。
 「俺はいらん。お前が食え」
 ヒカリは服の上からでもわかる、ゼロフィスの細い身体のラインを上から下へ目でなぞった。
 もしかして……ゴハンあんまり食べない人?
 ヒカリはつまんでいたフルーツを、無理やりゼロフィスの手を取って握らせた。
 
 「ゴハン食べなきゃ、強い子になれませんよ!」






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