11 戸惑いの紫


 「よう、総指揮官さまさま」
 バグズが軽く声をかけても、ゼロフィスは涼しげに眉を少し動かしただけだった。
 そんなに長い時間待たせたつもりはなかったのだが、少し機嫌が悪いようだ。
 根っからの楽天主義であり明朗快活なバグズにとって、ゼロフィスは少し付き合いにくい相手であることは間違いないのだが、神に仕えるファルコの同士なのだから、上手く付き合っていかなくてはならない。
 しかしそう思っているのは、バグズの方だけなのかもしれないが……
 バグズは地面に転がる石を蹴りつつ、こちらの状況報告を進めることにした。
 「そんなおっかねえ顔すんなよ。お前から預かってる娘っ子なら、ちゃんと働いてくれてるし、小回りの利く使える女だ。それに……」
 言葉の続きを紡ごうとして、バグズはハッと顔を上げた。
 ゼロフィスの鋭い視線が、バグズを射抜く。
 こんなにも鋭い輝きを放つゼロフィスの瞳を、バグズは知らない。
 それゆえ少々緊迫した空気がバグズを支配した。
 ゼロフィスに圧倒されて、口を開くことができないでいると、珍しくゼロフィスの方から先を促してきた。
 「何も……無いんだろうな」
 「おう。今んところは。しかし……」
 バグズはゼロフィスからヒカリを預かるとき、ひとつだけ、注意するように言われていることがあった。

 ――あいつは何ものかに狙われている。

 その正体は、ゼロフィスにも分からないのだという。
 「やはりゼロの言う通りだな。嫌な空気はいつも纏わり付いてる。アイツには」
 ヒカリ自身はまったく気づいていないようなのだが、やはりバグズも、不気味なものの気配は常に感じていた。
 ゼロはバグズから視線を逸らすと、いつもより雲の多い空を見上げてため息をひとつついた。
 「まあ、俺にはもう関係のないことだがな。そしてバグズ、俺はヒカリをお前に『預けた』んじゃない。『やった』んだ。そこをはき違えるな」
 「へいへい。ったく、おっかねえんだか……やさしい男なんだか。わかりゃしねえな、お前は」
 バグズが言うと、ゼロフィスは珍しく口角を上げた。
 笑ったのだろうか……
 そう感じたバグズだったが、次の瞬間にはもう、いつもの冷酷無慈悲なマスクを装着済みのゼロフィスに戻っていた。

 ドリーからの預かり物であるヒカリを、自分の手元には置きたくない。
 だから、自分の信頼できる仲間に、『やる』ことにしたゼロフィスのことをバグズは、付き合いにくい相手だとは思うけれども、決して冷たい男だとは思えないのだった。
 ゼロフィスは、そういうことにしたくないだけであって、結局は面倒を見ているのだ。
 ヒカリのことを。今でも。

 「先刻唐突に決まった。明日から一週間、地上へ降りる。偵察船には今回、俺とティティとお前が乗る。連れて行く小隊のメンバーを、早急に厳選してくれ。」
 言い終えるとゼロフィスは、高貴な紫色をした厚めの布を懐から取り出して、バグズに突きつけた。
 「餞別をやり忘れた。ヒカリに渡してくれ」
 バグズは布を受け取る。
 少し広げるとそれは、ターバンのように見えた。
 「アイツ、寝てるときに髪の毛食ってた。見ていても鬱陶しいあの髪を、それで何とかしろと言ってくれ」
 「……ゼロが直接渡せばいいじゃねえか。案内するぜ、ヒカリのとこ」
 「そんな暇はない。それにもう俺は二度とアイツには関わりたくない」
 ……十分世話焼いてる、むしろ焼きすぎだと思うのは俺だけだろうか?
 と、バグズは心の中で思う。
 ゼロフィスはバグズを一瞥すると、愛馬のラズに跨った。
 「俺たちの留守中に何かあったらすぐに連絡をよこせられる、話の分かる隊員を1人置いておけ」
 「それは、アイツに何かあったらってことでいいのか?」
 バグズは紫色の餞別とやらを握る手に力を込めつつ訊いた。
 しかしゼロフィスはそのバグズの問いには答えることなく地面を蹴り、颯爽と飛んで行ってしまった。
 ラズはネス元総指揮官が育てた、空島一の優秀な羽馬だ。
 頭も良く温厚で、何より飛び方とその速度が素晴らしい。
 バグズはもう既に豆粒程になっているゼロフィスの後姿とラズに、ピュウっと称賛の口笛を吹いて見送った。
 あ。そういえば、ヒカリが意外に隊員受け良いことを言い忘れたが……
 まあいいか。今度言ってやろう。
 「気にいらねえフリしてやがるが、あの様子じゃあ今回はいつもとワケが違いそうだからな」
 プリアラモド島の酒場で、ゼロフィスが泣かせた女のフォローを何度したかなんてもう、覚えていない。
 自分ひとりでは慰めきれず、隊員たちまでもを巻き込むこと度々……
 しかしそんな事態になった原因である当の本人はいつだって涼しい顔で1人、飄々とマントを翻している。
 そんな今までとは一味違う今回の状況に、バグズは楽しげに喉を鳴らすと、訓練場へ足を向けた。
 明日からの地上偵察船に乗せるメンバーを選出しなければならない。
 「忙しくなるぜ。色んな意味でな」


 * * *


 ヒカリは一日の仕事を終えて、眠りにつくべく布団の中にもぐりこんだ。
 この瞬間が一番しあわせー……
 って、何だかあたし、主婦みたいじゃん!
 と自分で突っ込みを入れつつ、瞼を閉じた。
 しかし、どうしても気になる。
 アレが……
 「もうっっ」
 ヒカリは上体だけ起こすと、ベッドサイドの小机の引き出しを開け、中から紫色のヘアバンドを取り出した。
 夕食の時に、バグズから受け取ったものだ。
 そしてそれは、
 「何でゼロフィスがあたしにモノなんかくれるんだろう……気持ちわるー」
 ずっとあたしのこと厄介者扱いしていたくせに。
 しかも、バグズの言うことにゃあ、『寝ているときに髪を食べていた』あたしが鬱陶しくてくれたものらしい。
 「……あたしの寝顔、見てたってことだよね」
 急に、恥かしさが込み上げてくる。
 今更……だけど。
 だって、1人で寝るのは何か嫌だったんだもん。
 1日目はラズが一緒だったし疲れきってたいたからそんなこと思う前に寝ちゃってたんだけど。
 何となく、1人になりたくない。特に、夜は。
 突然放り込まれた異世界ではやはり、心細いからなのだろうか……
 そんなことを考えていたら、ゼロフィスの顔が脳裏をちらつくようになった。
 それを振り払うかのようにヒカリは布団から抜け出してベッドを降りると、鏡の前に立った。

 バグズから貰ったヒカリの部屋には、一通りのものが揃っている。
 小間使い用の衣服も数着増やして貰ったので、ドリーから貰った透け素材のものは特別な日にだけ着ることにした。
 特別な日なんてやってくるのだろうか……勝負下着的な位置づけにしてしまったその服を眺めつつため息をついて箪笥の奥にしまったのだった。

 ヒカリはいつも身支度をしている鏡の前で、紫色のヘアバンドを持ったまま躊躇していた。
 一呼吸置いてから、髪にそっと、くぐらせてみる。
 サイドの髪は確かに、耳にかけてもよく前に落ちてくるから、自分でも鬱陶しく感じることはたまにあったので、意外と嬉しい贈り物だった。
 「アイツ、嫌な奴だけどわりと乙女心わかってるのかも……」
 鏡の中の自分を見つつ、呟く。
 長めの睫毛。
 赤みがかったくちびる。
 柔らかくて白い頬。
 胸や尻は確かに無いが、こうして近くで自分のことを観察すると、やっぱり多少は女であることを実感する。
 「あたし……女の子、なんだよね」
 今まで、女の子らしい女の子に、なりたかった。
 その為にやってきた努力は、思い返すだけで涙が出るようなものだ。
 しかし、今自分の前に立ちはだかる試練は、その努力してきたことを覆すもの。
 「どうすれば女を超えられるんだろう。ゼロフィスのそばに、置いて貰えるのかな……」
 隊のみんなのように、激しく筋肉むきむきになり、どんな訓練でもトップになって、男が羨むような『男』になればいいのだろうか……
 でも、姿は男になれても、心は?
 ゼロフィスに寝顔を見られても、恥かしいとか思っちゃダメで。
 ビークに抱きしめられても、ドキドキしちゃダメで。
 誰かを……好きになったりすることも?
 「『そんな気持ちは捨てろ!』って。ゼロフィスなら言いそうだなー」
 彼の口真似をしてみて、ヒカリは苦笑いした。
 「誰も好きにならない……か。あーあ、早く寝なきゃ。明日の朝も早いぞー」
 再びベッドに転がろうとした、その時だった。
 「……むー?何だ、アレ?」
 訓練場の方向に取り付けられている窓の向こうに、ビークとその仲間数人が、大小さまざまな荷物を背負って歩いているのが見えた。
 「こんな夜中に、何やってるんだろう」
 いつもなら隊員たちはぐっすり夢の中である。
 ヒカリは不思議に思って、部屋を飛び出した。
 食堂まで走ると、勝手口の鍵を開けて外へ出る。
 しかし外は真っ暗で、いくら目を凝らしてみても遠くの方で微かにビークたちの魔法のランプの灯りが揺れて見える程度だった。
 電灯などが無いこの世界では、夜になるとみんな、魔法のランプを手に持ち行動する。
 しかしヒカリは魔法が使えないので、バグズからロウソクを渡されていた。
 ヒカリは食堂へ引き返すと燭台を探し、急いでロウソクに火をつけた。
 再び外へ出て、ビークに気づいて貰えそうな所まで歩いていく。
 すると、暗闇の中離れた所に頼りない小さな灯りが突然灯ったことにビークは気づいたようで、仲間に一声かけるとこちらへ走ってきてくれた。
 「ようヒカリ、どうしたの?眠れないのか?」
 「んーん違う。寝ようとしたら外にあんたたちの姿見つけて気になっちゃって……こんな夜更けに何してるの?」
 「ああ、明朝から地上へ降りることになったんだよ。隊長、お前には言ってなかったのかもな。まあ俺も一応、地上偵察小隊の端くれなもんで、隊長の選抜試験でゴーサイン出たからさ。それで、荷物の積み込みやってんの」
 ビークから詳しく聞いたことがある。
 バグズ軍隊はこのオランジュ島で地空一族の強制隔離をすると共に、定期的に『地上偵察船』と呼ばれる飛行機のようなもので地上へ降りて、地の民の動きを監視するのだという。
 地の民はある事件から空島を統べる神に憎悪を抱いている為地上へ降りることはなかなか危険なことなので、その偵察隊員はいつもバグズ隊長自らが選抜試験を実施し、船に乗る隊員を決めるらしい。
 「明朝って……何で?突然。みんな行っちゃうの?」
 思ってもみなかったこの状況。
 ヒカリの胸の鼓動が速くなる。
 「夕食前にゼロフィス様が訪島されただろう?そん時に決まったらしい。行くのは軍隊の半分程で俺たち偵察小隊は全員行く。上官は、ゼロフィス様、ティティ様と、我らがバグズ隊ちょ……う」
 ヒカリはその夜着に包んだ小さな身体で、ずりりとビークに擦り寄った。
 
 「お願い……あたしも一緒に連れてって」

 ビークはごくりと唾を飲み込む。
 そして、ヒカリの肩に触れようとした……
 その時だった。
 強い風が吹き、ヒカリの髪が激しく揺れる。
 その髪の隙間から、ちらちらと光る青いものが見えた。
 こんな色のピアスをしていただろうか?
 ビークは突然ぞくりとして、小さく身震いする。
 ヒカリは風が止むと、ビークを切なげな瞳で見上げた。


 「ねえ、あたしも一緒に行きたいの」


 ビークにはためらう余裕すら、無かった。







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