10 敷かれたレール


 やっぱり何かおかしい……

 ゼロフィスと共に彼の羽馬、ラズに乗ってやってきたオランジュ島。
 この島でバグズというファルコの一員らしい男のもとで日々隊訓練に励んでいるヒカリ……
 のはずだったが、何かがおかしいと感じ始める事態に陥っていた。

 オランジュ島にやってきて、ちょうど一週間たっていると思う。
 ヒカリはゼロフィスからバグズに引き渡された後、これがファルコが誇る空島唯一の軍隊だと、屋外にある訓練場に通された。
 そこでは、筋肉質なマッチョマンたちがその自慢のムキムキぶりを見せつけるかの如く、競り合って訓練に励んでいた。
 そんな必要はあるのかと疑うくらい、上腕二頭筋を打ち付け合っている男たちが妙に目についたが、ヒカリは順に訓練場を目で追って行く。
 筋肉強化トレーニングはもちろんのこと、剣術、魔術、射撃、エトセトラ……
 芝生の生えただだっ広い訓練場のあちらこちらで小隊に分れて訓練に励む彼らは総勢100名程である。
 そんな彼らの姿を見せつつ、隣りに立っていたこの軍隊の隊長、バグズがヒカリに言いつけた仕事は、ゼロフィスが言った『試練』とは異なるものだった。

 「お前には今日から、うちの軍隊員たちの生活における家事全般を任せる。まあ、小間使い的なことだな。ざっと100人はいるからお前1人で全員の世話をするのは無理だ。各小隊ローテーション+お前……えーっと、ヒカリ、とかいうんだな」
 ヒカリはぽかんと口を開けて、かなりガタイのいい大男のバグズを見上げていた。
 歳は自分より10程は離れているように思える。
 もみあげと繋がりかけているヒゲが、そのたくましさを更に強調して見える彼は、1人でぽんぽん話しを続ける。
 「ヒカリとで、仕事をこなして貰う。このたび俺が作った新システムだ。いやーしかし、正直男ばっかりでほんっとにむさくるしいぞ。汚れた衣服はあちこちに落ちてるし、ベッドなんかもう半年はシーツを洗ってない隊員がほとんどで、臭って睡眠の妨げになるような奴らもいる。しかし、洗っている暇があるんなら、疲れているから少しでも長く寝ていたい……そんな面倒くさがりばっかりでな、困っていた。みんなお前がくるってこと聞いて嬉しがっていたからな、まあせいぜい頑張ってくれや」
 ヒカリはバグズの勢いに圧倒されて危うく頷きかけたが、ちょっと待ってと口を挟んだ。
 「でも、それだとゼロフィスから言われてここに来たことが、食い違うような気がするんですけど……」
 バグズがんー?という顔でヒカリを見下ろす。
 背の低いヒカリは会話する際、たいがいの人を見上げる形になるが、その相手がバグズだと、見上げる首がかなり痛い。
 「あたし、ゼロフィスの小間使いになる為に試練を出されてて、それがこの島のあなたの軍隊で訓練に耐えて女を超えるっていうことで……って、アイツから聞いてません?」
 「………初耳だな」
 「ほんとに?!!もーーー!!話は通しとくって言ってたのにー、ゼロフィスの大バカ野郎っっ」
 バグズは真顔でヒカリの言い分を聞いていたが、突然ぱかっと大口を開けて大声で笑い始めた。
 「ぐわっはっはっはっはっは!!!」
 「ちょっ……な、何がおかしいのよ!あたしはゼロフィスの試練を乗り越えて、アイツの小間使いにならないといけないのっっ!」
 「いやー、こんなに威勢のいい娘だとは思わんかった。心強いぞ、ヒカリ」
 ぐいっと親指を立てて、ばちこーんと背中を叩かれた。
 いてー!!と内心泣き叫んでいたヒカリだったが、歯を食いしばる。
 「まあ、そのーなんだ、じゃあゼロの小間使いの練習だと思ってやってくれ。そんなに軍隊に興味があるのなら、様子を見て体験入隊させてやってもいいぞ。ただし、やって貰う仕事はきちんとやって貰う。それにプラス、だ」
 ヒカリは背中をさすりながら、どうしても納得のいかないこの状況を何とかひるがえしたいと考えていた。
 けれどもバグズもバグズでなかなか頑固な様子だ。
 ガチンコ勝負で勝てる相手で無いことも一目瞭然だし……
 「……わかった。小間使い、引き受けます。慣れてきたら、絶対に体験入隊させてください!あたし……女を超えないといけないの。それはきっと、隊にいないとできないことだと……思うから」
 再び訓練場を見渡し、ヒカリは決心して言った。
 「あたし、ゼロフィスの小間使いになりたいから」
 「ゼロの………なあ」
 顎に手を当てつつ、バグズが難しい顔をする。
 しかしヒカリは、そんな彼を見ていなかった。
 ただ真っ直ぐに、筋肉質な隊員たちを、いつまでも見つめていた。

 ……マジでむさくるしいわ。

 

 そうして始まったヒカリのオランジュ島での軍隊小間使い生活は、早くも二週目に入ろうとしていた。
 ただただ忙しく過ぎ去る日々に、ヒカリが体験入隊できそうな兆しは一向に見えなかった。
 というか実はそれどころではない仕事量に、ヒカリはかなり焦り始めていた。
 こんなはずじゃない。
 引き受けはしたものの、何かがおかしい……まるで自分は初めからここでずっと小間使いとして働いていくことが決まっていて、そのレールがあらかじめ敷かれていたような気がしてならなかったのだ。

 まさか、ゼロフィスがそういうふうに仕向けた……?

 でもゼロフィスは、一ヶ月バグズ軍隊の訓練に耐えて女を超えろ、そうすれば俺の小間使いにしてやるって、そう約束してくれた……

 「なーヒカリ、これはこの鍋でいいのか?」
 地上偵察小隊所属のビークが、空島特産物の芋とナイフを手に持ちたずねてきた。
 彼と家事をするのは今回で二度目だ。
 他の隊員たちはまだ外で干してあったベッドのシーツを取り込み中のようで、ビークが台所へ一番乗りでやってきた。
 先にスープの材料を切り始めていたヒカリは、笑顔で彼に振り向く。
 「うんそう。皮をむいて4等分にして入れたら、ひたひたになるまでお水入れてね」
 「ひたひたって……なんだ?」
 「ひたひたはひたひたよ。感覚でわかるでしょ、感覚で」
 「……お前、適当だなーそれ」
 この島に来てわかったことが色々ある。
 この世界は異世界だけれど、人間界と似ている。
 土に種を蒔いて水をあげれば、作物が育つ。
 その作物も、人間界でいうところの芋や葉物のようなもので、彼らもそう呼んでいる。
 そして、採れた作物を市場で売っている人たちがいる。
 わたしたちはそれを購入して、食事をつくる。食べる。片付ける。夜にはお風呂に入って、寝る。
 っていう生活パターンも、人間界と同じなのだ。
 「ヒカリってさあ、ゼロフィス様の小間使いになりてーんだってな。好きなのか?……ゼロフィス様のこと」
 突然ビークに予期せぬ質問を投げかけられ、手に持っていたナイフを床に落としてしまう。
 「お前……あからさますぎるぞ、それ」
 「ち、ちがっ、そんなんじゃないもんっ!!好きとか、そんなんじゃ……」
 そんなんじゃなくて。
 あたしはもっと、おっきいことをする為に、ゼロフィスに近づきたいだけ。
 「あ、血でてる」
 ナイフを滑らせたときにやってしまったんだろう傷が、右の人差し指に斜めに走っていた。
 ヒカリは人間界にいた時もできるだけツタ子ママの家事は手伝うようにしてきたけれども、やはり総勢100名分すべてを自分ひとりでこなすというのは想像以上に大変で、正直、身体に諸々支障をきたしていた。
 傷も、人差し指だけではない。
 手全体はかさついてあちこち切れまくっていたし、何をするにも大人数分なゆえにもたらされてしまった腰痛にも悩まされていた。
 小隊がローテーションで一緒に取り組んでくれるといってもやはり、彼らも午前中は隊訓練の省略メニューをこなしてからヒカリの手伝いにやってくる。
 そんな彼らに気を使わないわけもなく、ヒカリは朝早くから起きだして、午前中にできるだけの家事をひとりで消化するようにしていた。
 彼らに手伝って貰うのは実質、夕食作りと簡単な部屋掃除くらいだったのだ。
 「ヒカリ、無理してない?」
 ヒカリの傷だらけの手のひらを見つめながら、ビークが言った。
 ヒカリは首をぶんぶん横に振って否定する。
 「ううん。何も無理なんてしてない」
 「俺らが午前中訓練やってる間に、やる事ほとんどひとりで済ませてるだろ?」
 「それは……午前中にやっちゃいたいからやってるだけ。あたしが勝手にやってるだけだから、あんたたちは気にしないで……」
 その時だった。
 ふいに、手をとられて引き寄せられる。
 突然のことで何が何だかわからないまま足もつられて動いてしまい、気づけばヒカリはビークの腕にすっぽり包みこまれていた。
 「ちょ、な、なななな何!?」
 ヒカリはどうして自分がビークの腕の中にいるのかまるで理解できずにあたふたする。
 しかしビークはそんなことにはおかまいなしで、ますますヒカリを抱きしめる腕に力をこめた。
 「何でもかんでもひとりでやってしまおうとすんなよ。どう考えたって無理しないとできない量だぞ?どうしても午前中にやってしまいたいんなら、隊長に俺たちの訓練を午後からにして貰えないか打診してみる」
 「え、そ、そんなのいい、よ……っていうかあのー、ビーク?」
 「ヒカリ……お前、胸も尻も全然ないけど、俺はそういう女が結構………す」

 「おい、ヒカリ!」

 ビークの言葉を大声で遮ったのは、隊長バグズだった。
 台所の入り口に立つ大男の彼はしかし、二人を見てすぐに眉をひそめる。
 「………何やってんだお前ら」
 「た、隊長っっっ!!」
 ビークはヒカリを突き放す。
 「自分は鍋を持ってひっくり返りそうになっていたヒカリを抱きとめただけであります!決してそんなやましい気持ちなど……」

 「あるだろー!!」
 「あんだろがー!!」

 ヒカリとバグズの怒声が重なって台所に響き、ビークは調理用のテーブルの下に潜り込んで小さくなりながら、せっせと芋の皮むきを再開した。
 そんなビークを呆れ顔で見ていたヒカリに、バグズは思いがけない報せを口にした。

 「もうすぐゼロがこっちにくるぞ。お前、会いたいか?」

 え?
 ゼロフィスがくる……の?

 そんなの、会いたい………
 わけがない。
 こんな状況で。
 ゼロフィスから言われた試練とは、まったく異なることをしている。
 設けられた期間は一ヶ月なのに、一週間経過した今でもまだ、バグズ軍隊に入れて貰えないのだ。
 そんな自分を見せるわけにいかない……
 きっと彼はあたしに失望する。
 そして、小間使いにはして貰えない。
 彼のそばにいることが叶わなくなってしまう……

 そんなの嫌だ。


 「ううん。会わない」



 ――まだ、会えない。







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