12 ナイショの乗船


 地上偵察船は約半年ぶりにオランジュ島の格納庫を出発した。
 重厚な造りのこの船は、ゼロフィスが生まれる前から空島にあるという。
 地上との交戦状態が続いていた頃はかなり出番の多かったはずの偵察船なのだが、その割には劣化している部分なども特に無く、整備の手間も省きやすい優秀な乗り物である。
 昔は戦闘機能も兼ね備えていたが、今はそれらが活躍することはなくなり、主に地上への下降と上空からの偵察のみに使用することになっている。
 そして、神の不思議な力によって護られているこの船は、地上からの砲撃などに対して絶対的な回避能力を持っている。
 しかしその地上からの砲撃は、近年ぱったりと止んだ。
 和解したわけではない。
 ティティの調べによると、その最も大きな理由は、数百年前の『ガナシュ島の悲劇』で神が地上へ墜落させたガナシュ島の残骸から近年になって突然異様な魔力が流れ出し、地上の土を腐らせていることが原因だという。
 地上の民たちは主に畑を耕し作物を収穫し食糧としている為、かなりの打撃を受け、大飢饉に見舞われていて、空島へ攻撃するどころではない状態に陥っているらしい。
 
 「自分たちが生きるのに精一杯……という所まできているようだな。もう襲撃はほぼ無いとみていいかもしれない」
 ゼロフィスは口元に手を当て、机上に広げた地上の地図を見ながら言った。
 地上へ降り立つまでには数時間を要する。
 地上からの攻撃が止んだとはいえ油断は禁物で、船は迂回と上空偵察を繰り返しながら、今回のターゲットとなる場所を目指していた。
 ゼロフィス、ティティ、バグズのファルコの一行は、地上へ着陸してからの手順をさらうべく、コクピットのすぐ隣りに設けた会議室に集まっていた。
 「……そうですね。今はまだ魔力が及んでいない地域の生きている土で何とか作物を収穫して生きながらえているようですが、それも時間の問題かもしれません。地の民の長を中心に、土壌腐敗の侵食を食い止める為様々な手段に出ているようなのですが、どれも失敗に終わっているようです」
 ファルコの一員でナポレオ島に配置されている学者のティティが地図を見下ろし、まだ生きた土の残っている地域を指でなぞる。
 そして、黒縁眼鏡を押し上げながら、不安げにゼロフィスの様子を伺いつつ口を開いた。
 「このままでは……」
 「地の民は絶滅する、か」
 バグズが椅子にドカッと腰掛けて、弱々しいティティの言葉の後を引き継いだ。
 バグズは単に言いにくそうにしているティティのフォローをしたつもりなのだが、ティティはそんなバグズの態度にあからさまに怯える。
 それもいつものことなので、今更気にしないバグズは、続けて口を開いた。
 「支援はするのか?」
 無精ひげを片手で撫でつつ、バグズはゼロフィスに問うた。
 「……神は地の民の絶滅を望んでいるわけではない。しかし、支援については、今の状況ではかなり難しい」
 ゼロフィスは答えて席を立ち、窓際へ歩いて行く。
 上空から見ると、地上の土の色がある所を境目にしてまったく違うことがよく見てとれた。
 死んだ土の上には、民が住んでいる気配はもう無く、腐敗侵食の魔の手は、地の民の長が住む中心部へ向かって伸びている。
 食い入るように地上を観察するそのゼロフィスの後姿を横目で見つつ、バグズはため息をついた。
 「新たな1000年の命を宿す『器』探しを拒否しているから……か。だが、地の民は支援が受けられないと分かっていながら拒否し続けている。今回も、こちらの要求には応じないだろうな。頑固な奴らだぜ」
 ティティはそんな二人のやりとりの真ん中で無言で縮こまっていた。
 そしてひとり、しげしげと地図に集中する。
 『器』探しのターゲットとして今回降り立つ所には赤く印を入れてある。
 ちょうど、死んだ土壌と生きている土壌の境目だ。
 その周りにはたくさんの緑の印が点在しており、もうかなりの土地で『器』探しを実行したことが一目で分かるようになっていた。
 どこだ……どこにある。
 ティティはぼんやりと遠い目で考える。
 しかし心のどこかでは、確かにもうひとつの想いがうごめいている。

 どうか、見つからないで――


 * * *


 (うー、もう我慢できな、いー!!)
 空気が薄く、息苦しいということもあったが、ヒカリが今最も我慢ならないのが、おトイレであった。
 女子としてはどうしても押さえておかないといけないポイントだったのに、ビークには聞かずじまいで船に乗ってしまったのだ。
 もちろん、表から堂々と乗り込んだわけではない。
 渋々という感じのビークに、大きめの荷物袋の中に押し込んで貰ったのだ。
 ビークたちが運んでいた荷物の袋は、大中小のサイズがあり、一番大きい袋であれば、ヒカリのような小さい身体の人物一人は余裕で入れることができるようなものだった。
 (どうしよう……地上まであとどれくらいで着くのかなあ)
 思い切ってヒカリは絞ってあった袋の口を緩めた。
 そして少しだけ顔を覗かせ、辺りを見回してみる。
 偵察隊が地上で使用するらしい道具や食糧などを詰め込んだ袋が多数押し込まれているこの倉庫のような部屋の中には、おトイレは無さそうだ。
 ということは、部屋の外へ出るしかない。
 (出たい……っていうか芦屋ヒカリ、出ます!)
 
 
 ビークの協力のお陰で、ヒカリはどこからどう見ても偵察隊員そのものの装いだった。
 草色の軍服に身を包み、頭には軍帽も被ってある。
 サイドの髪を利用して、青いピアスが目立たないように配慮もした。
 そうして、偵察隊員の中でも下級クラスの『使い走り』に扮することにしたのだ。
 これで例え見つかりたくない人に見つかったとしても、一瞬なら何とか誤魔化せるだろう。
 ヒカリはどうしても偵察船に乗りたかった。
 地上へ降りてみたいという興味もあったが、そこでゼロフィスたちがどんなことをしているのかをこの眼で見たかったのだ。
 そして、もちろん『女を超える』ことも忘れたりしていない。
 バグズ軍隊には無理やり入隊した形になったが、地上での任務を経験し、その中で女を超えるヒントになるものを得ることができれば……という希望を持ってヒカリは偵察船に乗り込んだ。
 試練には最後まで立ち向かうつもりだ。
 それが、ゼロフィスとの約束だから。

 「おトイレどこかな……」
 場所を聞けるような頼れる味方がいない今、ヒカリはとても心細かった。
 倉庫を出て、何となく道なりに歩き続けるが、偵察船の中は思ったより広く、複雑な造りになっているようなのだ。
 もうダメかもしれない……
 最後にやっちゃったのは確か、小学3年生の時だったと思う。
 その時の恥かしさを思い出しながら、ヒカリはぶるるっと身震いした。
 いやいや、もうあたしは高校一年生なんだよ?!
 大きくなった今、あの頃の出来事とはワケが違う……
 窮地に立たされたヒカリは、頭を抱えながら前方不注意で突き当たりを左に曲がった。

 ドンっっ!!

 「ぎゃっっっ」
 「わっっっっ」

 誰かにぶつかり、ヒカリは尻餅をついて倒れこんだ。
 一瞬ヒヤッとしたことは言うまでもないが、何とかセーフだった。
 「ちょっとあんた、気をつけなさいよ!……って、まああたし……もとい、オレもだよね、ごめんなさい」
 自分の前で同じく倒れている黒縁眼鏡の白衣に身を包んだ男の子に向かって、謝る。
 そして心の中で今は男子に扮しているんだということを自分に再徹底した。
 不審人物と疑われないように、隊員男子らしく振舞わなくてはならないのだ。
 「あ……わ、わわわわた、わたわたわた」
 まだ少年のようなその童顔の男の子は、黒縁眼鏡を押し上げながら慌てふためいている。
 多分男の子だと思うのだが、声はやや女の子っぽい。
 何か言いたげに口を開くけれども、頬を赤らめてどもるばかりだ。
 「どうしたの?どっか怪我しちゃった?見せて」
 女言葉が抜け切れていないが、ヒカリは別のことに気をとられていた。
 まるで何かに耐えるかのように握りしめられた男の子のこぶしが、小刻みに震えている。
 ……どうしたんだろう。
 ヒカリは起き上がれないでいる男の子の前に座って、彼の目を覗き込んだ。
 綺麗なブルーの瞳だ。
 ヒカリのピアスとは、また違った、青。
 「ひーっっっ!!」
 しかし男の子は悲鳴に近い声を上げ、ずざざざざと勢いよく後ずさる。
 「……怪しいものではありませんよー。あなたのこと、取って食ったりなんてしないから。あたしはヒカリ。あなたは、誰?」
 目の前の男の子を怖がらせたくない一心で、ヒカリはすっかり男子に扮装していることを忘れていた。
 やさしく、まるく。
 近づきたい。
 手を伸ばしたい。
 けれど……
 「ごめ……あ、あたしが限界ー!!」
 ヒカリは懸命に堪えているものを騙し騙し男の子と向き合っていたのだが、ついに最後の一線を越えそうになり、気がつくと涙がぽろぽろ頬を伝い始めていた。
 急に泣き出したヒカリを見て、怯えていた男の子の表情が驚きのそれに変わる。
 ゆっくりと、徐々にヒカリに近寄ると、しかし少しだけまだ距離を置いたまま、男の子が口を開いた。
 「どこか……怪我したんですか?」
 その言葉に、さっきまでのどもりは無い。
 きっとこの男の子は、極度の人見知りなんだなと、ヒカリは頭の隅っこで思った。
 隅っこだけでしか思えないことに悪いなとは思うが、もうヒカリは『我慢』だけに全力を注いでいる状況だったのだ。
 「大丈夫ですか?ねえ……」
 男の子はヒカリの瞳を覗き込んでくる。
 その表情はヒカリのことをとても心配しているものだった。

 あー、あたしのこと心配してくれるの?
 ありがとう。
 知らない人、怖いだろうに……

 ヒカリもかつてはそうだった。
 まだ幼かった頃。
 知らない人が近づいてくる度に怖くて、いつもカイ斗の後ろに隠れたことを思い出す。
 
 ヒカリはもう何で泣いているのか分からなくなってきた。
 我慢が辛い。でも、男の子が自分に対して少しでも心を開いてくれたことも嬉しい。
 そしてついに男の子が、ヒカリの両手を取った。
 「ぼくはティティ。大丈夫、安心して下さい、ぼくが医務室へお連れします」
 凛々しくそう言うと、ヒカリをおんぶしようと背中を向けて目で合図した。
 ヒカリは弱々しく首を横に振ると、最後の力を振り絞って、彼に言った。

 「おトイレ直送便で……」

 ティティっていう名前は聞いたことがある。
 確か……ファルコの一員のはずだ。

 ――後であたしと会ったこと、口止めしとかないと。

 ティティの背中で、近づいてくる至福のひとときにひたすら想いを馳せる。
 しかし、ちゃあんとそんなことも考えている、ヒカリだった。

 だってこれは、ナイショの乗船なのだから。







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