13 上陸宣言


 「総指揮官、間もなく着陸します。ご用意を」
 連絡係が去ると、ゼロフィスは組んでいた足を崩して席を立った。
 窓辺から地上の様子を窺っていたのだ。
 そして同時に、別の考え事もしていた。

 出発前夜のことだ。
 ゼロフィスは、神に個人的に呼び出され、神の間にてあるひとつの質問をされた。

 『ゼロフィス。近すぎて見えないものとは、何だ?』

 神が何を言いたいのか、まったくわからなかった。
 それは謎かけのようでいて、教えのようにも思えた。
 そして、あれからずっと、考えている。
 その問いかけは、今回の指令に関係のあることなのだろうか?
 今回地上でする仕事は2つだ。
 1つ目は、神の後継者に新たな1000年の命を納める為に必要な『器』を探し出すこと。
 2つ目は、地空一族の末裔で、ネス=ラウルザフの娘の『リヒカ』を探し出すこと。神は数日前の緊急会議の際に、この世界にリヒカを感じる……と、言った。地上なのか空島なのか。そのリヒカの確実な所在はわからないが、とにかくリヒカ自身からこの世界へ戻ってきたこのチャンスを逃すな。早急に、リヒカを捕らえよ、と。そう言われている。
 どちらも、かなり大きな探しものだ。
 ……どちらかが、俺の近くにあるということなのか?
 『器』が。
 『リヒカ』が。

 リヒカ=ラウルザフ――

 ふと。
 ゼロフィスの脳裏に、ヒカリの顔が浮かんだ。
 エメラルド色の瞳。
 なめらかな白い肌。
 夜になると不気味な青になるピアス……
 ヒカリの頭から足のつま先まで、鮮明に思い出す。

 まさか、な。
 
 ゼロフィスは思考を断ち切り、昇降口へと向かった。


 相手は既に武力を放棄しているに等しいとわかってはいるものの、少し、緊張感が走る。
 特に今回は、地の民の長であるムンバルと初めて対面することになっているのだ。
 ムンバルはいつも自身の館に閉じこもったまま、ファルコが地上へ降り立っても伝令を寄こすだけで自らが赴くことは無かった。
 しかし、今回は違う。
 長自らがゼロフィスの前に現れるのは、地上から空島へ、強い要求があるということを意味する。
 ゼロフィスは目を閉じ、深呼吸をした。
 ちょっとした修羅場になるかもしれない……
 そう、感じていた。

 『ゼロフィス。わしは地上の民が滅びることを望んでいるわけではないのだ。ただ、わしの後継者となる者の1000年の命を納める<器>が欲しい。それだけなのだ』

 1000年の命をその身体に宿す為には、<器>うつわと呼ばれる石が必要である。
 神は1000年の命を終えようとするとき、自らの命をその特別な石に封印し、後継者に渡すことができる。
 その石を受け取り、胸へ当てると、その1000年の命は後継者の中へと吸い込まれていき、新たな1000年の命が、新たなからだの中でその息吹を放つのである。
 それだけ強大で重みのある命を納めることができる石は、地上にたった数個しか埋まっていないといわれており、神が後継者を選び始めた昨今、本格的な器探しが始まった。
 バグズが隊長を務める軍隊の中に、器捜索小隊という部隊がある。
 彼らはティティの読みで決められた情報を元に小規模な偵察船で地上へ降り、その石をずっと探し続けている。
 神は地上に対して度々器探しに参加するよう要求してきたが、未だかつて地上がそれを受け入れたことはない――

 手に持っていたマントを身に纏うと、ファルコ総指揮官の紋章が刻まれた留め金を引っ掛ける。
 そして、偵察船の重い扉を開けると、ゼロフィスは外へと足を踏み出した。

 「すべての地上のものに告ぐ。我は空島、神の臣下ファルコ総指揮官、ゼロフィスである!今ここに、神の命を受け地上へ降り立つことを宣言する!」」

 胸に手を当て、上空に浮かぶ我らが空島を見上げ、高らかな声で上陸宣言をする。
 少し間を置き、ゼロフィスは目線を変えた。
 そこには野次馬のように集まった地の民の群衆が、無言でゼロフィスを出迎えていた。
 どの身体も痩せ細っていて痛々しい程なのだが、目からは力強い光が放たれており、ゼロフィスに攻撃的な眼差しを向けている。
 そんな地の民の群衆は、ある一人の老人を護るかのように立ち並んでいた。
 椅子に腰掛けていたその老人は、ゼロフィスの上陸宣言を聞き終えると、ゆっくりと立ち上がった。
 隣りについていた若者が、腰の曲がった老人に杖を手渡す。
 そして老人を支えながら後について歩き出そうとしたのだが、それを老人が皺の多い手で制した。
 きっと、老人の護衛の者なのだろう。
 老人は「ありがとさん」と若者に礼を言うと、ゼロフィスに向かって歩き出した。
 一人で、ゼロフィスと対峙するつもりなのだ。
 その足取りは弱々しく、今にも崩れ落ちそうなものである。
 ゼロフィスも、バグズとティティには待っているように言い置いて、一人で老人に向かって歩みを進めた。

 「ようこそ、地上へ。遠い所からようおいでなさった、若者よ」
 「お目にかかれて光栄だ、ムンバル長。元気そうで何より」
 老人は地の民を治めるムンバル長であり、ゼロフィスは彼に向かって頭を下げた。
 「元気そうに見えるかね、この老いぼれが。わしはもう老い先短いただのじじいじゃ。そちらの主とは違ってなあ」
 声はしゃがれて少し震えており、ゆっくりとした速度でしか言葉を紡ぐことができないようだ。
 垂れ下がったしわしわの瞼で、ムンバルの目は開いているのかどうかもわからない。
 しかし、時折微かに上がるその瞼の奥には、ゼロフィスを優しく見つめる眼差しが隠れていた。
 「お前さんも大変じゃな、血気盛んな主を持つと」
 ゼロフィスは違和感を覚えた。
 ……なぜだ?なぜ、そのような目で俺を見る?
 もっと……
 ムンバルの向こうに、自分たちの長に何かあればすぐに飛び出してくるのであろう姿勢の群衆たちが見える。
 その手に武器は握られていないのだが、彼らの眼差しは、それだけでゼロフィスを射殺してしまいそうな勢いのものなのだ。
 そう、ゼロフィスを。神を。空島という存在を。
 憎んで憎んで、憎んでいる、と。彼らの身体中がそう叫んでいる。
 ムンバル長も、地の民の群衆の、否、それ以上の厳しい眼差しで自分と対峙するのであろうと。
 いきなり剣を差し向けられることまで想定していた。
 そうして腹を括って船を降りたゼロフィスは、正直、ムンバル長の穏やかで温かい眼差しに、戸惑いを隠せなかった。
 「……どうした、若者よ。ゼロフィス殿と申したかな。何をそんなに怖れている?」
 ゼロフィスは目をみはった。
 ムンバル長の顔から、笑みが消えている。
 「怖れてなど………」
 思いがけないムンバル長の言葉に、ゼロフィスは返答につまる。
 「わしらはもう、何も持っておらぬ。上空で見てこられたであろう?この地上の哀れな様を」
 ムンバルは真っ直ぐに、ゼロフィスを見つめ、続けた。
 「ここに、武力の放棄を宣言する。もうわしら地の民に、空の民を攻撃できる力は全く無い。だから、何も怖れることは無いのだ、ゼロフィス殿」
 ゼロフィスは奥歯を噛んだ。
 怖れてなどいない、何も。
 自分には怖れるものなど、何も無いのだ。

 ふと。
 ヒカリの泣き顔が頭に浮かぶ。

 なぜだ?
 ……出てくるな。
 俺の中から消えろ。

 今更、後悔している。
 少しでも、ヒカリと一緒にいたことを。
 ヒカリの瞳に、見入ったことを。
 同じ布団で眠ったときの、足に当たったヒカリの体温を。
 忘れることが、できない。
 気がつくと、いつも頭に浮かんでくるのはヒカリの顔だった。
 しかし、泣いているか、膨れっ面かのどちらかなのだ。

 アイツは笑うこともあるのだろうか……

 そんなことを考えている自分の方が、おかしくて笑える。
 どこで狂ってしまったのかなんてもう、思い出したくもなかった。

 
 「立ち話もなんじゃからのう。わしの館へ案内したいのだがー」
 痛そうに腰をさすりながら、ムンバル長が言った。
 長はかなり高齢だと聞いている。
 もうあまり長くは立っていられないのだろう。
 ゼロフィスは我に返り、しかしその誘いを受け入れるかどうするか、迷った。
 常に油断は禁物なのだ。
 今の状況ではまだ、相手の真意が掴めていない。
 考えこんでいると、ムンバル長は垂れ下がっていた瞼をカッと見開き、ゼロフィスに噛み付いた。
 「だーかーら、わしらはもうお前さんたちには何もできんのじゃて、何度言うたらわかるんじゃ!このカタブツ!」
 まるで駄々っ子のように杖を振り回してゼロフィスにカタブツを連呼しているムンバル長を見て、バグズが堪えきれずに噴き出した。
 「プッ!!ぷはーっはっはっはっは!!おっもしれージジイだなー!」
 「バグズっっ!!」
 ゼロフィスが振り返り、腹を抱えて笑っているバグズを叱責する。
 「だってよー、カタブツに真っ向からカタブツ呼ばわりだぜ?おもしろくねーか、このジジイ」
 涙目になりながら笑いを噛み殺すのに必死なバグズを、ゼロフィスは呆れ顔で見ていた。
 「おーおー、お主はなかなか話しのわかる若者じゃのう、酒は飲めるか?客人に振舞う酒くらいは用意ができる」
 「俺もたいがい強いけど、ゼロには誰も勝てねーぜ」
 バグズが自慢げにゼロフィスの肩を押した。
 「ふぉっふぉっふぉ、望むところじゃ」
 
 ――読めない。
 
 しかしバグズは乗り気で、ムンバル長をひょいっと肩車すると、地の民の群衆の中へ入って行ってしまった。
 群衆も先ほどまではかなり強張った表情をしていたのだが、今はムンバル長につられるようにしてその顔に笑みが広がり始めている。

 「行ってみましょう」
 
 後ろから珍しく強気な言葉を口にしたのはティティだった。
 ゼロフィスは、自ら進んで前向きな発言をするこんなティティを見たことがない。
 「今回の上陸の趣旨もまだ長にお伝えできていませんし」
 そう言ってゼロフィスと目が合ってから、初めてティティはいつものように少しうろたえた。
 「す、すみません、出すぎたことを……」
 「――いや、」
 ゼロフィスは口元を緩めた。
 ティティは自分の目を疑ったが、確かに今、ゼロフィスは微笑した。
 
 「行こう。ティティの言う通りだ」







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