14 知らない闇


 「おい、新入り!ぼやぼやすんなよ、日が暮れちまうだろ!」
 いや、まだまだ暮れないとは思いますが。
 という突っ込みは置いておき、ヒカリはビークに感謝の気持ちもこめ、敬礼をした。
 「あいあいさー!」
 ビークの計画通りにとばされた檄のおかげで、上手く偵察小隊の中に紛れてヒカリは地上に降り立った……はずだ。
 他の隊員たちは、おー何だ新入りかーなどと言いつつ、気だるそうに流し見していくだけで特にヒカリを不審がる者はいない。
 ビークには何から何まで世話になりっぱなしで、本当にありがたいとヒカリは思う。
 ……オランジュ島へ帰ったら、何かお礼しなくちゃね。
 ヒカリは荷物袋を片手に、地上の土を踏み鳴らした。
 空島にいる時、浮遊感を感じることはまったく無い。
 このように大地を踏みしめている感触となんら変わりないのだ。
 しかし、空を見上げると、そこにはつい数時間前まで自分がいたはずの島が浮いていて、今更ながら小さく驚く。
 太い木の根が絡まりあって地盤を形作っているその島の姿は、何か壮大なファンタジー映画を見ているような気分になる。
 でも……
 これが、現実なんだよね。あたしの。
 ヒカリは確認するように、ザッと地面を蹴った。
 飛んで行った土のかたまりを目で追うと、ヒカリはある事に気がつき、首を傾げた。
 ヒカリが立っている所の土は、空島でも作物がよく育つ土壌と同じ色をしている。
 しかし、すぐ何メートルか先を見やると、そこからは突然どす黒い色をした、しかも所々に白い斑点のようなものが浮いている土になっているのだった。
 何、これ……
 ヒカリは眉をひそめた。
 どす黒い色をしている地帯には、所々に集落の跡のようなものがある。
 そのどれもが朽ち果てていて、一目でそこにはもう人々が住んでいないことがわかる。
 酷い……何でこんなことに?
 「おいっ、ヒカリってば!」
 腕を掴まれ、我に返る。
 振り向くと、そこにはビークが立っていた。
 周りの隊員に不審がられないよう、声のトーンは落としてくれている。
 できれば、名前もあまり呼ばれたくないのだけど……
 「みんなと一緒に行かないと、紛れられないだろ」
 偵察小隊はこれから船の外へ荷物をすべて運び出し、今回の仕事場付近で野営の準備に入るのだ。
 「ごめん、何か……あの土見てると、何でだろうって思って。今あたしが踏んでる土はとてもきれいなのに、あっちからは突然……」
 ヒカリの言葉に、ビークがそちらの方へ視線を移した。
 「ああ、あっちの方角に、『ガナシュ島』の墜落現場があるんだよ。そのガナシュ島から、何かわからないけど異様な魔力が流れ出して、土が腐敗してるんだって。ここは、ちょうどその土壌の境目なんだ」
 腐敗……
 『土が腐る』って、聞き慣れない言葉だ。
 でも確かに、見るからに農耕はできなさそうだった。
 しかも、ひっかかる言葉が出てきて、ヒカリはビークに訊ねずにいられなくなった。
 「ビーク、『ガナシュ島』って、何?そんな島、空島の中には無いよね?」
 空島は全部で5つ存在する。
 そしてそれらの島には一人ずつ、神の臣下ファルコのメンバーが配置されているのだ。
 ゼロフィスと神がいる、そしてヴェルが幽閉されている、空島の主島、プリアラモド島。
 ドリーがいる、ミルフィユ島。
 バグズがいる、オランジュ島。
 ティティがいつもはそこにいるって言ってた、ナポレオ島。
 そして、あたしがまだ会ったことの無いライというファルコの一員がいる、モンブラ島。
 この5つしか無いはずなのだ。
 しかし、そのヒカリの問いかけに、ビークは驚いた表情になる。
 「お前、『ガナシュ島の悲劇』を知らないのか?」
 え………?
 何、なんだろう。まさかあたし、まずいこと訊いちゃったのかな……
 「まさか、冗談だろー?空の民の中に、『ガナシュ島の悲劇』を知らない奴なんていないはずだ。学校でも教わるし、親だって語りつがせることになってるし……」
 思いっきり怪訝な目で見られ、ヒカリは焦った。
 なるほど、空の民の間では常識的なことを訊いてしまったわけだ。
 しまったなあ、どうやって切り抜けよう……そうだ!
 ヒカリはすうっと虚ろな目をし、暗い表情をつくった。
 そして重々しく口を開く。
 「……うち、貧乏で学校には行けなかったから」
 「え……?」
 今度はビークの顔に、しまったという色が浮かんだ。
 ヒカリはうつむくと、更に続けた。
 「それに、父さんと母さんからはあたし、嫌われ……」
 そこまで口にして、ヒカリは黙り込んだ。
 言えない……
 いくらこの場を切り抜けるための嘘だとはいえ、こんな嘘は言いたくない。
 ヒカリは、愛されていた。
 人間界での育ての父母にも。
 この世界での生みの親である父母にも。
 みんなに愛して貰って、大事にして貰ってきたから、ここにこうして自分は生きている。
 なのに、嘘でもその人たちから嫌われてるなんて口にすることは、ヒカリには絶対にできなかった。
 「ヒカリ……」
 ビークがヒカリの肩をそっと抱く。
 「お前、辛い境遇の中で生きてきたんだな………ごめん、俺、滅多に泣かないんだけど……」
 突然、ビークが鼻水をすすりだした。
 見上げると、大の男が涙鼻水垂れ流しで男泣きしている。
 何だかわからないが、ヒカリがその嘘の先を言うのが嫌で口をつぐんだものを、辛すぎる過去を思い出したくなくて口をつぐんだものと勝手に勘違いしてくれたらしい。
 「ヒカリー!!俺はお前のこと、愛してるからなー!!!」
 「ちょっっっ、ビーク、大きな声であたしの名前呼ばないでよ!バレちゃうじゃない!!っていうか鼻水!鼻水つけるな!」
 わんわん泣きながらしがみついてくるビークの顎を手のひらで押さえて回避しつつ、ヒカリは辺りを見回した。
 幸い、偵察小隊の面々はもうだいぶ遠くまで移動している。
 その隊員のうちの一人がおもむろにこちらを振り返って、叫んだ。
 「おーい!何男同士で気持ちわりーことやってんだよ!さっさとこないと置いてくぞー!!」
 ヒカリとビークは慌てて身を離し、隊員に手を振って答えた。
 「すぐ追いつくー!!」
 ヒカリは荷物を肩に背負い直すと、足を踏み出した。
 何が入っている袋かはわからないが、ずっしりと重い。
 しかし、日ごろから小間使いとして大人数の隊員たちの炊事・洗濯・布団干しなどをこなしていたおかげで、わりとへっちゃらな重さだった。
 小間使いの仕事もあれはあれで、貴重な体力作りになっていたらしい。
 「お前、ほんとに大丈夫か?フツーの女ならこんなの、ものの数秒で持てなくなるぜ」
 ビークが心配気にヒカリの顔を覗きこむ。
 そう言うビークは合計6つ袋を持っていて、ヒカリは少し彼を見直した。
 「うーん、あたしフツーの女じゃないから、全然へっちゃら」
 「確かに。胸も薄いし、尻も無いし、一見女には……」
 「ビーク。それ以上言ったら、わかってるわよね?」
 ヒカリが目を細めてビークをじろりと睨む。
 ビークは短く苦笑すると、ヒカリの先に立って歩き始めた。

 ――ゼロフィスとも。
 いつかこんなふうに、二人で歩いたりできる日はやってくるのかな……
 父さんの遺志を成し遂げるために。
 

 ヒカリはとぼとぼと歩きながら、ビークの背中をぼんやり見つめた。
 誰から『ガナシュ島の悲劇』のことを聞き出すか、悩む。
 最も頼りになるヴェルとドリーには、今は会えない。
 しかし、父ネスの遺言では語られなかったけれども、父がしようとしていたことと何か関係があるのかもしれないのだ。
 そう思うと、何だかいてもたってもいられなくなり、すぐにでもこの世界で何が起こっていたのかを知りたくなった。
 ヒカリの、まだ知らない、闇。

 ネスがヒカリに託したこと。
 オランジュ島に強制隔離されている、地空一族を解放すること。
 それから……

 『この世界に平和を取り戻すんだ』

 ヴェルの声が、脳裏にこだまする。

 地の民も、空の民も、しあわせに、平和に暮らせる世界を――

 『取り戻す』ということは、以前のような『元の姿』に戻すということだ。
 しかしヒカリは、この世界の『元の姿』を知らない。
 一体、地上と空島の間に何があり、どうして争いが始まったのだろうか。
 ヴェルには、とりあえずゼロフィスを懐柔するようにとだけ言われて一旦離れることになったので、自分が神に命を狙われていること、地空一族の末裔であること、それしかヒカリは知らずにいたのだ。

 ヒカリは立ち止まり、荒れ果てた方角をもう一度見た。
 ぞくりっと、からだが震える。
 何か、怖ろしいものの姿が見えるわけでは無い。
 しかし、自分が想像していたよりももっと大きな闇が、この世界を包んでいるのではないだろうか……
 そうヒカリは思い、立ち竦む。

 あたしが、その闇に立ち向かえるの?

 たとえ、どんな困難が自分の前に立ちはだかろうとも、最後までやり遂げる。
 そう、決めた。
 ……決めた『つもり』でいたのだ。
 ヒカリはくちびるを噛みしめた。
 今、ようやく自覚したのかもしれない。

 ネスの遺志を成し遂げるために、自分は、命を懸けているのだということを――

 風が吹いていく。
 まるで、ヒカリの頬をなでるかのように。
 ヒカリを、不安がらせないかのように。
 大地を吹きぬける風は、とてもやさしかった。

 ヒカリは前を向いた。
 少し遠くなってしまったビークの背中に向かって、走り出す。
 いつも隊の仲間たちとわいわい過ごしていることが多いビークには聞き出し辛い。
 時間が作れたら、ティティにもう一度会いに行こう。
 ティティなら、何も問いたださずに教えてくれるような気がしたのだ。
 

 『ガナシュ島の悲劇』と、『この世界が平和だった頃』のことを。








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