17 少年のきみと


 ゼロフィスだ……と、思った。

 小さい頃の、ゼロフィス。
 4・5歳だろうか。
 くるくるとよく動くアーモンド型の瞳は、とっても愛らしくて。
 ふわふわとあっちこっちへとびはねる黒髪は、この頃からもう、そうだったらしい。
 けれど、このちびゼロフィスには、今のあの憎たらしさは微塵も感じない。
 純粋で無垢な。
 怖いものを、怖い、と。
 好きなものを、好きだ、と。
 感じられる。
 その感情を、おもてに出すことができる。
 そんな少年に、いとおしいというきもちが、溢れ出た。

 か、かわゆい……!

 その、ぷにぷにしていそうなほっぺたをつねってやろうと、手をのばした。
 でも、届かない。
 届かない、というか、ゼロフィスを通り抜けて、向こう側へ行ってしまうのだ。

 す、透けてる……?!

 ちびゼロフィスは、透けてしまう。
 これも、彼の使う、魔法なんだろうか。

 ゼロフィスはさっきからキョロキョロと辺りを見回していて、落ち着きがない。
 何かを、探しているようにも見えた。
 ヒカリも同じく周りを見回してみると、そこは、彼女にも見覚えのある場所だった。
 プリアラモド島の、神のいる城だ。
 地下牢には、ヒカリをこの世界へ召還したヴェルが、幽閉されている。

 ヴェル、元気かなあ……
 何だか、なつかしい。
 会いたいなあ。
 ドリーにも。

 ヒカリが物思いにふけっていると、途端に、ちびゼロフィスが駆け出した。
 ヒカリも慌ててあとを追う。
 前方には、白くて太い柱が城の高い天井へ向かって何本も伸びている。
 その柱の間を抜けて、前方に見えてきた、ものものしいつくりの扉に向かって、ゼロフィスは走っていた。

 「……だめ、ゼロフィス」

 どこから出たのかと思うほど、かぼそい声で。
 それが自分から出たことばだと気づくのには、時間がかかった。

 だめなんだ、そっちは。
 ゼロフィスに、見せたくないものが、ある。

 それを、ヒカリは知っているような気がした。

 前を走るゼロフィスの腕をつかんで、今すぐに引き止めたい。
 でも、ヒカリの手はゼロフィスのからだを無常にもするすると通り抜けるばかりだった。

 「ゼロフィス、行っちゃだめ、そっちは……」

 あたしも、見たくない……
 見たくないよ!

 ギギー……と。

 扉を少しだけ押し開けると、ゼロフィスは慎重に、その隙間から、中をのぞいた。

 ゼロフィスの目が、限界まで、見開かれる。
 可愛らしいかたちのくちびるが、かたかたと震え始めた。
 それでも……
 ゼロフィスは、中へと足を、踏み入れた。

 まばたきひとつ、することなく。
 そばにあった、柱の陰に隠れて、その光景を見つめつづける。
 それは、ちいさな少年にはたえられるはずのない、あまりにもおぞましい光景だった。

 ヒカリは、透き通ってしまうことも忘れて、ちいさなゼロフィスを一生懸命抱きしめた。

 「見ちゃだめだよ……、ゼロフィス……」

 泣くに泣けないでいる、開かれたままの彼のその瞳の。
 一生懸命、まぶたをおろそうとした。

 今、ゼロフィスの視線の向こうで崩れ落ちたのは……

 あたしの父であると。
 あたしはなぜか、知っていた。
 このときあたしは3歳で。
 そしてあたしは今、この瞬間に、父ネスに命を守られたのだ。


 * * *


 目が覚めたときには、ヒカリは泣いていた。
 それも、かなり長い時間泣いていたみたいな疲労感に、おそわれていた。
 上体を起こそうとするけれど、何だか背中に鈍い痛みが走って、断念する。

 まだ朦朧とする意識の中、自分が寝ているベッドの脇に、誰かがいることに気づいた。

 「ひどいうなされようだったな」

 ちびではなく。
 大きくなったゼロフィスが、腕組みしながらあたしを見下ろしていた。

 「なぜ、あんな無茶をした」

 無茶?
 無茶って、何だろう。
 あたし、何かしたんだっけ……

 「そしてなぜ、お前はここにいるんだ」

 ゼロフィスのその一言で、我に返った。
 そうだ、あたしは、ゼロフィスに何かあったんだと思って、器捜索小隊の手伝いから抜け出して。
 ビークに、ゼロフィスの居場所を教えてもらって、わきめもふらずに走って。
 図体のでかい外の見張り番をムリヤリふりきって館の中へ突入して。
 ゼロフィスの声がしたような気がする部屋の扉を蹴り開けると、まさにゼロフィスが大ピンチだったから……

 あ、はい。
 あたし、後先考えずに、とびこみました。
 っていうか!
 ナイショの乗船が……ばれて、しまった。

 「それにしてもほんっと、タフな娘っこだなー。絶対死んだと思ったぜ」
 「生きててよかったです……」

 ヒカリが青ざめていると、ゼロフィスの後ろから大きな声と弱々しい声がきこえてきた。
 バグズとティティが、心配げな顔で、ヒカリをのぞきみる。

 「あたしも……死んだかと思った」

 するりっと、目の前に紫色のヘアバンドが垂れ下がってきた。
 ゼロフィスが手ににぎっているそれは、ヒカリがずっと髪に着けていたはずのものだ。

 「これを身につけていたからだ。傷をふさぐ為に三日ほど寝たまま目を覚まさないが、命に別状はない」

 ゼロフィスのことばに、バグズがピュウと口笛をふいた。

 「なるほどなー。マモリミの魔法をかけてやがったのか。それも、一番高等なヤツだな。お前、何だかんだ言って、ヒカリを守る気満々……」

 ティティが、バグズの袖をひいて、静止させる。
 ゼロフィスが怖ろしい形相でバグズを睨みつけていた。
 それ以上言ったら殺されかねないことを察知したバグズは、話題を変えた。

 「まあ、あれだな。ヒカリは、オランジュ島へ強制送還ということで……」
 「いや、」

 ゼロフィスが、有無を言わせない威厳のこもった声音で、言った。

 「オランジュ島へは帰さない」

 バグズとティティは、きょとんとした。
 ヒカリも、驚いてゼロフィスを見上げる。
 ゼロフィスはみんなの反応にはかまわずに、続けた。

 「ヒカリを、今日から正式に俺の小間使いに任命する」

 そこにいた誰もが、口をあんぐりあけた。

 あんなに嫌がってたのに、なぜ?
 まだ、試練も達成できてない。
 女を超えるっていうことも。
 なのに、こんなに、突然……

 ゼロフィスが、再びヒカリを見下ろして、言った。

 「お前は、俺から絶対にはなれるな」


 やっとのことでゼロフィスの小間使いに、ゼロフィスのそばにおいてもらえることになったのに。
 素直に喜べないのは……
 ゼロフィスがあたしのことを見る目が、いつにも増して、


 冷たかったから。






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