18 手のひらの中の運命


 「突然どういう心変わりなのか、教えてもらえるんだろうなあ、ゼロさんよう」

 ヒカリに痛み止めの薬を飲ませて寝かしつけてから、一行は話し合いの場所を別室へと移した。

 「こっちはなかなか居ついてくれる小間使いがつかまらんかったところへ、ようやく根性の固まりみたいな女が来てくれて。俺も、隊員たちも随分アイツに懐いちまってるんだ。そう簡単には返してやりたくない」

 どっかりと椅子に腰掛けながら、バグズがゼロフィスに言葉で詰め寄る。
 ゼロフィスは腕組みをしつつ壁にもたれ、俯いたままだった。
 ふわふわととびはねる黒髪が、俯いたゼロフィスの頬あたりまでを覆い隠しているため、彼がどのような表情をしているのか、他のものには読み取れなかった。
 しかしそれは、必死に何かの答えを探し求めているかのような様子にも見えた。

 「……自分でも、わからない」

 バグズが、目をみはる。
 そんな曖昧なセリフを、このゼロフィスの口からきくことなど、生涯無いと思っていた。
 バグズとティティは、彼の言葉の続きを、待った。

 「でも……あいつを、……ヒカリを、俺のそばに置いておかなければならない。それが、ここに来て判明したことだ。空島にいるときには、気づけなかった」

 苦いものでも噛むように、冷酷な美貌をゆがめて、ゼロフィスは言う。

 「しかしお前、あいつには異様な影がつきまとってんだぞ?それが、いいものなのか、悪いものなのかもわからない。オランジュ島にいる間、俺もちょこちょこ探ってはみたが、結局、正体は突き止められずだった」

 そうだろう。
 なにしろその正体は……

 「それは……帰ってから俺があばく」

 気づいてしまったのだ。
 面倒なものが、更に面倒なものだったことに。

 プリアラモド島へ帰ったら。
 ヒカリに、事情聴取をする。
 そして、彼女を召還したのは誰なのか。
 参謀者は、そいつと、ドリーだけなのか。
 いったい、何が目的なのか。

 本来ならば、ただちに、神の前に突き出さなければならない。
 しかしゼロフィスの中に、その選択肢は無かった。
 そのことがより一層、自分を戸惑わせていた。

 おそらく、神は、俺が自分でヒカリの正体に気づくのを、待っている。
 自分がヒカリの正体にまだ気がついていないフリをしたら……
 神は、見破るだろうか。

 ヒカリが、自分の身代わりとなって刺された瞬間。
 温かい雫が、頬に落ちてきた。

 冷え切った自分の頬にしみこんでいったそれは。
 ヒカリの、涙、だった。

 なぜ、泣いていたのだろうか。
 まったくもって、わからない。
 しかもあいつは俺に、死ぬな、と言った……

 ゼロフィスは顔を上げて、部屋の隅っこでさるぐつわをかませて、椅子にしばりつけてあるムンバル長に目をやった。
 もうひとつの始末についても、考えあぐねていた。

 「バグズ、ティティ……ムンバル長と、ふたりだけで話がしたい」

 ゼロフィスがそう言うと、バグズとティティは、無言で部屋を出て行った。

 ゼロフィスは、長に歩み寄り、彼を見下ろした。
 かませてあったさるぐつわを、解く。

 「ムンバル長……あなたはあのとき、本気で俺を仕留めようと?」

 ムンバルは、口から取り入れられる久しぶりの酸素に喘ぎつつ、ゼロフィスを見上げた。

 「ああ、本気だった、さ。お前さんも、それはわかっておるじゃろうに……しかしお前さんは、これっぽっちも、避けようとしなかった。お前さんはあのとき、……自分の命がどうなっても構わんと、そう、思っていた。別に、このまま、死んでも構わん、と」
 「………」

 答えないゼロフィスに、ムンバル長はつづけた。
 しかし、その声はとても、やさしいものへと変わっていた。

 「あの……わしが、刺してしまった、おなごなんじゃが……あの子は、お前さんたちが今回探しておる、例のおなごでは、あるまいか?」

 ゼロフィスは息をのんだ。
 すると、ムンバル長の口からは、予想だにしていなかった発言が飛び出した。

 「わしは、あの子がまだ乳飲み子だった時分に、会ったことがある」
 「………何だと?」

 ムンバル長の瞳がやさしく揺れ、過去に思いを馳せるように、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 「ネス殿が、連れてこられた。私の子です、と。わしは、その時のことを、昨日のことのように鮮明に覚えておる。……忘れられないんじゃ。その時の、ネス殿の嬉しそうな、照れくさそうな顔も。子の、宝石のように光り輝く、つぶらな瞳も。そうじゃ……やはり、間違いない。あのおなごは……」

 亡きネスの娘、そして、地空一族の末裔である、リヒカ=ラウルザフ、じゃな。

 自分で刺しておきながらなんじゃが、ひと目でわかったわい。
 ひと目でわかったゆえに、頭の中が真っ白になった。
 お前さんが彼女にマモリミの魔法をかけておいてくれなんだら、わしは、ネス殿にあの世であわせる顔がなくなるところじゃった。

 そう言って、ふぉっふぉっと笑うムンバル長を。
 ゼロフィスはいつのまにか、直視できなくなっていた。

 ひとしきり笑ったあと。
 ムンバル長が、ふと、真面目な顔で、言った。

 「ゼロフィス殿」
 「……なんだ」
 「あの子を、神に差し出すのか?」
 「………」
 「おいそれと。差し出すのかいのー?」
 「あなたには、関係のない話だ」
 「何をぬかすか!関係大アリ!じゃ!」

 ムンバル長は、ふんっ!と大きな鼻息をはくと、腕と足に力を入れた。
 筋肉が瞬時に膨張し、椅子に縛り付けてあった縄が、ぶちぶちっと音をたてて切れ、床にはらはらと散った。
 まったく……なんてジジイだろうか。
 こんなにも変な老人に、ゼロフィスは今まで出会ったことがなかった。

 「わしや地の民たちは、心からネス殿を愛しておった。彼は本当に、地の民にも、空の民と同様に良くしてくれた。ネス殿は、お前さんの教官だったはずじゃ。あんなに立派なお方が教官をつとめなさったからには、さぞかし立派な青年なのじゃろうと、わしは先日のお前さんとの対面を楽しみにしておった。ところが……」

 ムンバル長のその瞳には、とても悲しげな色がたゆたっていた。

 「なんと、むなしいことか。お前さんの目には、輝くものがなかった。色を失くし、死んだもののような目を、しておった。すべてを、飲み込まれてしまったのだな……神に」
 「……それは、違う」

 違う。
 神は、何も悪くない。
 むしろ、俺を、救ってくれた。
 俺にファルコの総指揮官という地位を与え、居場所を作ってくれた。

 俺が憎むものを、超えられることのできる、たったひとつの居場所を。

 「裏切ったのは……教官だ。ネス=ラウルザフは、神の一番の側近でありながら、神を裏切り、自分の心のままだけを貫いた。ひとりの女に溺れたせいで……すべてを、見失った。そんなあいつに俺は、」

 失望、したんだ。
 そして俺は、絶対、あんな愚か者にはならないと。
 自分に、誓った。
 たったひとつの命を守る為に、他の大切なものを捨てていくなど。
 自分の命を捨てるなど。
 そんな、ばかげたことが。

 「しかしお前さんは、たったひとつの命を守ることすらもなく、自分の命を捨てようとしたのではないのか?」
 「………俺には、守るべきものなど、何もない。この命を捨てて、守るべきものなど」
 「あるではないか。すぐそばに」

 ムンバル長は、懐に手を伸ばした。
 しかし、今度は、鋭利なものは飛び出してこなかった。
 懐から引き抜いたムンバル長の手には、千年の命を継承するために使用する石が、ころんとのっかっていた。
 長はゼロフィスの手を取ると、彼の手のひらに石をのせ、そっと、握らせた。

 「この石をどうするか。お前さんに、託してみたい」

 ゼロフィスは、無言で、握りしめた石の感触を確かめた。
 ごつごつとした。
 心臓くらいの大きさのそれは、石、であるのに。
 こんな石が、自然に定められた寿命を、無視して。
 更に更に引き延ばした命を含ませ、継承者の体内に、入っていく。

 すべてに絶望していたあの頃に。
 神から言われたことばが、頭の中に蘇る。

 『ゼロフィス。お前が、唯一の、継承者となるのだよ。わたしの意志を、受け継いでいく。この空島、地上を支配する、神として』

 そう。
 俺の、からだの中に。
 入るのだ。千年の命が。
 自分の居場所を与えてくれた神が、望むのなら。
 それを、俺は、受け入れるべきだ。

 「わしは、自然の流れに逆らいなどはしたくない。逆らえるわけが、ないのじゃよ。すべての生命には、生まれ持った寿命があるんじゃから。お迎えがくれば、喜んで、逝こう。だから、そのときには何の悔いも残らぬように」

 今を、懸命に、生きるんじゃよ。
 ふぉっふぉっふぉ。

 ふぉっふぉっふぉ。


 胸の中で鳴る鼓動が、ひときわ大きくなったように感じた。
 ゼロフィスは、手の中の石を、つよく、握りしめた。

 すべての運命が今、自分の手の中に、あった。







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